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福音の手紙②「なぜ人間は神様に会えないのか」

※「福音の手紙」は私がキリストを信じた後、最初にわかちあってもらったメッセージです。現時点での信仰の足あととして書くことにしました。これまでの記事、バックナンバーはこちらです↓

この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」"
使徒の働き 4章12節

前回の手紙で、人間が神様から離れていることについて書きました。

さて、聖書を開くと「救い」について書かれています。しかし私自身「救い」についてよくわかっていませんでした。

宗教は心の支えにはなっても、生きていくのはこの世界と、この世の原理原則の中だと思っていました。

聖書は、人間が「滅び」「罪と死の原理」の中にいる事を教えてくれます。そして「救い」「いのちの御霊の原理」に入れることをまた、教えてくれています。

人間は神様に会えば幸せになれます。問題は人間が神様に会えないということです。それでは、なぜ人間は神様に会うことができないのでしょうか。

1.神様から離れているから

"あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、"
エペソ人への手紙 2章1節

神様は、朽ちる土の器に霊を入れて、人をつくりました(創世記2:7)。

そして、神様との約束が破られ(罪)人は霊的に死んだものとなりました。当然、神様が望まないことをするしかない状態になります(罪過)。

問題は、この状態が目に見えないばかりか、気づくことさえできないということです。

私もまったくわかりませんでしたが、神様は人を通してこの事を示してくれました。

今では過去の自分を振り返ると「死んでいた」状態がよくわかります。

神様はあの時「そろそろ生きなさい」と言われているみたいでした。

2.人間は神様に会うために努力しています。

"私たちはみな、汚れた者のようになり、私たちの義はみな、不潔な着物のようです。私たちはみな、木の葉のように枯れ、私たちの咎は風のように私たちを吹き上げます。"
イザヤ書 64章6節

神様と離れた人は神様に会うための努力をしています。人同士の交流が少ない時代でさえ、あらゆる場所で人は宗教をつくってきました。

私自身も宗教とは何か?という事を考える前から、危険な目にあったときに思わず「神様!」と願ったことがあります。

宗教でなくても、特定の人をカリスマ的・もしくはアイドル的にあがめたりする人もいます。もしくは特定の思想や哲学など・・・

私たちには良心があります。たとえ損をしても、良心にかなった行動をすると気分がよいものです。

しかしその行い(私たちの義)は真の神様の前では「不潔な着物」のようであると書かれています。どうすればよいのでしょうか。

3.救われなければ神様に会うことはできません。

"イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。"
ヨハネの福音書 3章5節

イエスは、新しく生まれて・・・つまり救われて、神様に再び出会いなさいと言われました。

死んでから会うのではなく、今から神様と出会い、交わりの中で生きていきなさいと言っているのです。

救いとは何でしょうか。聖書を見ると、悪魔の支配からの解放(Iヨハネ5:18)罪の支配からの解放(ローマ人への手紙8:2)地獄の力からの解放(Iコリント15:55-57)とあります。

救われてみると、あの時が救いの瞬間で、あれが唯一の道だったんだなということがわかります。

それでは救われるには、どうすればよいのでしょうか。

4.死んだ人が動けないのと同様に、死んだ霊は努力しても無駄です。

"いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。"
ヨハネの福音書 6章63節

私たちの霊は死んでいると書きました。ところが「肉」つまり私たちの身体の行いでは霊を生かす事ができません。

善人であれば、また徳を積めば神様に認められ天国に行ける・・という考えの人がいます。また死者を供養するという考え方もあります。

これらの方法では、実は霊にいのちを与える事はできません。いのちを与えるのは私たちの行いではなく御霊(みたま)つまり神様の働きだからです。

5.なぜ人間の努力では救いを得ることができないのか

"行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。"
エペソ人への手紙 2章9節

もしある人が、自分の努力と悟りによって、人生の問題を解決し、しかもそれが他の人にも提示・提案できる内容だったらどうでしょうか。

その人を崇める宗教ができてしまうかもしれません。実際にそういった宗教が今も存在しているのではないでしょうか?

しかし、神様の救いのわざはそうではなく、ただ神様の救いが延べ伝えられ、ただ神様が崇められる事で完成します(マタイ24:14)。

救いは神様の恵みです。私たちには受ける条件も資格もありませんが、神様の理由とタイミングがあり選ばれるということです。

ただ唯一の神様を礼拝し、祈りをささげ、御心についていく幸せを神様は教えてくれます。

どうすれば神様に会えるのでしょうか。次回へつづきます✨
※原作:「福音の手紙」(社団法人 世界福音化伝道協会)


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