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宗教的価値観が変わった話

別に新興宗教にハマったわけではありません。

サムネイルの金閣は今から5年前に京都1人旅に行った時に撮影したもの。マジでピカピカですげぇなって思って見てました。実際に足を運んだ人ならわかるかと思うんですが、標準語が全然聞こえてこないんですね。外国語か関西弁のどっちか。ちなみに金閣の正式名称は「鹿苑寺金閣(ろくおんじきんかく)」。銀閣は「慈照寺銀閣(じしょうじぎんかく)」。


余計な豆知識は置いといて

みなさんこんにちは。今回はタイトルの通り、宗教的価値観が変わったという話を綴っていこうと思います。

まずみなさんは「宗教」と聞いて何を思い浮かべますか?

大王道キリスト教。最澄空海我らが仏教。インドで盛況ヒンドゥー教。声に出して読みたいゾロアスター教。唯一神ヤハウェ信仰ユダヤ教。凄惨事件オウム真理教。ルターの純粋な心がきっかけになった宗教改革。過激派集団日蓮宗不受不施派。などなど。

僕は立教大学出身のため、在学中はキリスト教に触れる機会がそこそこありました。部活の大きい試合の前にはチャペルに行ってお祈りしたり、聖歌隊が存在したり、チャプレンが校内を歩いていたり。


・・・正直なところ、現代の日本人は「宗教」という言葉に対してあまりいい印象を持っていない人が多いように感じています。オウム真理教をはじめとした悪徳新興宗教団体が主な原因といったところでしょう。

かくいう僕は今現在信仰している宗教はありません。そもそも興味がないのもそうですが、実体がないものを信仰するという行為が如何せん僕には理解し兼ねるなと。教徒や信者を否定する気は一切ないという考えを大前提にね。自由権・信仰の自由で保障されていますので。

そんな僕ですが、とあることで宗教に対する考え方に変化到来。

以前noteでも取り扱ったコテンラジオです。↓

先ほど宗教を信仰する人の気持ちは分かり兼ねると書きました。そう書いたのも、自分が共感できるポイントが当時存在しなかったから。ある程度視野が広がって、今では精神的な支えを作って心の拠り所にできるという特徴を知ってから宗教の捉え方はガラッと変わりました。

精神的な支えがあるか否かって生きていく上で相当大きな差だと思います。

悩みを打ち明けられる人、メンターの有無で考えるとより分かりやすいかもしれませんね。心の拠り所があると人は強くなれる。それを考慮すると、宗教信仰って自分の生活をより豊かにする要素にもなり得るのかなとも。僕はこの視点を知った時すごく感心しました、それがあったかって。

また宗教信仰をすることで、自分の行動や判断の指標としても活用できるなと。キリスト教の隣人愛に基づいて〜、みたいな方がいざという時行動に繋げやすいんじゃないかな。また、そうやって指標ができると自分自身にも筋が通って確立した芯を作ることもできますね。そういった強く固い芯は説得力にも繋がる。


あれ、信仰心ってこうして見たらめちゃくちゃ強くないか?
宗教の力ってバカにならんな?さては。


僕も宗教の世界をもうちょっと覗いてみて、腹痛の時以外にもちゃんと神様を信仰できる状態整えてみようかなぁ。

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