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#155 積極的に脱力せんとす

日々を生きていく上で我々が抱える問題の1つに「硬直」というものがある。特に現代人は肩凝りや頭痛腰痛に悩まされている人も多いことだろう。この「硬直」というものは身体のみならず、思考においても我々に少なからず影響を与えてくる。人間に限らず、生きとし生ける全てのものは成長するにつれてその身体が硬質化の一途を辿る。これは生命機能を維持するためには必要不可欠なプロセスであり、なくてはならぬ要素である。ある一定のところまではそのプロセスは大いに役立ってくれるのだが、一線を越えると我々にとって不都合な存在へと変貌する。生きていく上で幾度となく対面するこの「硬直」という事態に、我々は日々をより快適に過ごすためにも「積極的に自らの身体を緩める術」を体得することが求められる。

そのためにもまずは、心身の硬直がどれほど我々に影響を与えているかを改めて理解する必要がある。


僕は「人間と土」には大いなる相関があり、素晴らしきメタファーであると考えている。

畑に作付けを行う際に必ず行うことは、畑のうないこみ(耕す)である。畑をうなう理由は粗大有機物の分解を促進させたり土壌に空気を含めさせたりと様々であるが、1番大きな理由は「土を軽く、柔らかくすることである」というのが僕の考えだ。そのような状態にする必要性とは何か。「作物の成長を妨げないため」である。雨降って地固まった重い土では発芽に悪影響が出かねず、ダマのようなゴロゴロした硬い土では根の成長が阻害される。発芽や根の成長も重要ではあるのだが、そこに過大なエネルギーを割かれて力尽きてしまっては本末転倒である。本来持って然るべき豊かさを享受するためにも、土は軽く、柔らかくしておく必要がある。

人間も同様に、本来持ち合わせている豊かさを最大限発揮するためにも「心身を耕しておくこと」が必須事項として挙げられる。それを如何様にして行うか。ストレッチやヨガももちろん有効ではあるが、個人的には刹那毎における「積極的な脱力」が求められるだろうと考えている。このnoteを書いている僕自身もそうだが、人間というものは無意識のうちに身体が硬直しているということはよくあること。そのように身体が硬直している状態では身軽な動きはおろか、他人の意見というものも柔軟にフラットに受け取ることは難しいだろう。本来持つ然るべき姿に立ち返り、豊かさを取り戻すための補助線として「積極的な脱力」が我々に大きく貢献してくれる。

うなってすぐの畑というものは、驚くほど足が沈み込む。それほどきめ細かく、空気も十分に含んでいるということだ。そのように軽く柔らかくなった畑でも、何度も踏み込めば、そこはいずれ元あった硬さに戻る。

人間の身体も同じことである。外部ストレスに晒され続けることによって、身も心も柔軟性は欠落していく。何度も往復するうちに土は踏み固められてしまう。硬いもの同士で相対したらその両方、少なくとも片一方は損傷してしまうことは言うまでもない。一方が硬くとも、他方が柔らかければそのような損傷は防ぐことができる。だからこそ「心身を耕しておくこと」が必要であると僕は伝えたい。これは決して「他人に優しくしましょう」という綺麗事を言っているのではなく、全て究極的には自分を守るためなのだ。

身体が緩めば次第に思考も緩む。緩んでようやく相手の意見を、自分と異なった意見を聞き入れる体制が整えられるわけだ。


では具体的に「積極的な脱力」とはどのようにして叶えられるか。

答えは「呼吸」にある。吐く息と同時に自分の内に抱え込んだ執着やしがらみを外に排出し、吸う息と同時に全身に新たな綺麗な空気を巡らせ浄化する。呼吸にのみ意識を向け、思考することを放棄する。

このように積極的に脱力せんとし、心身を耕さんとす。さすれば柔軟性は与えられん。



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