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#143 なぜRPGが人気なのか

世の中にはたくさんの種類のゲームが存在している。今回タイトルにも取り上げたRPGやホラーゲーム、FPSやVRとその種類は多岐にわたる。

以前のnoteでも記したように年明け早々燃え尽きてしまった僕ではあるが、復活できた要因としてゲームに触れたことが挙げられる。かつてはゴリゴリのゲーマーだった僕が年を重ね、バンドを結成し、人前で演奏する以上スキルアップの一環として「ドラムと誠心誠意向き合う時間」が必要であった。それを行う上でゲームという存在は、当時の僕にとって邪魔者以外の何者でもなかった。最終的には今まで年単位で積み上げてきたセーブデータを全て消し、自分の生活空間からゲームという存在を抹消することでドラムとの非常に濃厚な時間を過ごすことに成功したため、この行動に後悔はない。後悔はないものの、今回の正月休み期間で改めてゲームに触れて人生の潤いを取り戻せたところから、やはり心の奥底でどこか欠乏感があったのであろうと感じている。


さて、本題に入ろう。なぜRPGが人気なのか。

その理由は、ストーリーがあることによる「自分が行うべき事の明確さ」にあると考えている。

ポケモンで例えよう。初めにミシロタウンに主人公が到着し、支度を終えて家を出るとオダマキ博士がポチエナに追いかけ回されているところを目撃する。醜態を横目に御三家から1匹を選び、1つずつジムをクリアし、街を越え、最終的にチャンピオンであるミクリを倒すことで物語は終結する。当時ラグラージがエースであった僕は、ミクリのルンパッパによって辛酸を飲まされることになるのはここでは一旦置いておこう。

ポケモンにおいて、ストーリークリアのためにプレイヤーに対して求められることは「ジムを1つずつ順番にクリアし、四天王とチャンピオンを倒すこと」。ジムをクリアするために仲間を増やしたり育成したりと枝葉は折々追加されるわけだが、大元の目的は先述の通りである。

このように目的が単純明快であることによって、プレイヤーの脳には余計な負荷が少ない状態で物語を進めることが可能となる。やるべきことが決まってて、それに沿って行動すればクリアができる。誰でも簡単に遊べる特徴に、その人気が裏付けられているわけだ。


一方で、「オープンワールド」と言われるゲームではどうだろう。

オープンワールド(Open world)とは、ゲーム内の仮想世界において、移動的制限の無い、プレイヤーが自由に探索し、目的に到達できるように環境設計されたコンピュータゲームを指す用語である。定められた攻略手順の遵守を要求されないゲームプレイは、「Sandbox(サンドボックス:砂場・砂箱の意味)」ともよばれる[1]

Wikipediaより

先程までのRPGとは打って変わって、プレイの自由度は一気に跳ね上がる。ジムを順番通りクリアしなくていいのだ。ストーリーに沿って街を移動し、そのままトウカシティでセンリと戦っても問題ないのである。

自由度が上がることによって、プレイヤーには「自分の頭で考えてゲームを進行する必要」が今度は求められるようになる。オープンワールド式のゲームには明確なやるべきことはあまり存在しない。大まかな枠組みや最終目標はありつつも、自分で進める必要が発生するのだ。


この2つのRPGとオープンワールドを比較した際にある共通点に気づく。

「これって人生じゃね?」

個人に対して圧倒的な行動の自由が与えられている現代において、これはある種「オープンワールドのゲームに転生した」とも表現できるのではないだろうか。何をするか、人生というストーリーをどこから展開していくかは全てプレイヤーに委ねられている。だからこそ我々は道に迷いやすいとも言えるだろう。

一方で過去の歴史を振り返ると、武士階級や農民といった人たちは基本的には一生をその身分で終えることがほとんどであった。中には豊臣秀吉のように農民から歴史の偉人にまで大躍進する稀有な例も存在するのだが、基本としてはそういった家格なるものは覆すことはできない。

この一発逆転が現代より非常に困難な状況というものは、人によってはある種の絶望的な環境にも見えるのだが、逆に捉えると「決まり切ってしまっているが故に自分の将来や人生というものに悩むことは相当少なかった」とも言えるのではないだろうか。誰もが何者にもなれる現代において、余計な認知的負荷が少なく、ある意味で楽だった側面もあるのではないだろうか。正解がないからこそ、自分で人生の舵取りをしなければならないからこそ、自由というものは現代において「自由の功罪」として我々の悩みの種となっている。

こういったことから、RPGなるものはあらかじめストーリーやTo doが定められているため遊びやすく、全年齢対象となって幅広く人気を集められるのかもしれない。

この自由なオープンワールドにおいて、我々はどのように今世という与えられたカセットを攻略していくか。攻略本も攻略法も全て自身で編み出して進行する物語。そう考えたらこの与えられている自由というのも、少しは心地良く感じられるのかもしれない。

とはいえ、「自由になったことで我々は道に迷っている」というのは事実である。

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