14歳の栞とNOROSHI

「14歳の栞」が再上映するということで、これは絶対に逃すまいという思いでチケットを購入した。
ちょうど行けるタイミングがNOROSHI決勝当日で、そんな激熱情熱晴れ舞台をリアルタイム配信で追いかけなくて良いのだろうか?と頭をもたげたけれども、そちらは追っかけで楽しませてもらうことにした。全然うるせえ、と思うけれども、これは僕の中で結構すごいことだった。瞬時に霧散したNOROSHI決勝会場チケット、あぶれた人でもリアルタイムで熱気を味わえますよと用意されたオンラインチケットがあったけれども、そうした権利を放ってまで映画を見に行くというのは僕の中で結構すごいことだった。全然うるせえけど。
映画の性質上、すぐ手元においていつでも楽しむことができるタイプのものではなかったから、このチャンスを逃すわけにはいかなかった。それぐらい1年前の印象が強烈だった。


1年前に見た時は、始まって早々に顔がばしゃばしゃになってしまって、ああこんな濃度の、一人一人の葛藤やいじらしさを浴びせ続けられたらおかしくなっちゃうかもしれないと思った。
上映後、生徒一人一人の行く末を案じ、一人一人の幸せを願ってやまなかったんだけれども、同時に、一視聴者が見ず知らずの若人一人一人の行く末を案じることのヤバさも感じた。
たとえ、決して誰かを悪く言うとかではない、ただただ幸せを願う、そういう澄んだ、清らかな姿勢だったとしても、なまじっか人生に関わらんというスタンスをつい取ってしまう、ただそれだけでめちゃめちゃ怖くて乱暴なことである。
ぐっっと理性で持って「じんわり素敵な気持ちを抱えたまま早く忘れた方が良いかもな」と思ったものだった。
潜在的な危うさを抱えまくった上で、絶妙なバランスで成り立たせた制作の方々のおかげでこうして凄まじいエンタメを楽しむことができた。もちろん感謝すべくは生徒たち自身や保護者さん方も含まれてくるんだけれども、そうして感謝する先として具象化することがまた、先に述べたような怖さを感じるきっかけにもなるというか、ほんとぼんやり、ぼんやり味わうぐらいが良いなって思ってる。

1年経って見ると、良い意味で距離を置けて楽しめたというか、再度泣くことはなかったけれども場面場面を冷静に受け取ることができたようでとても良かった。
リアルに起きていることでこうして気持ちを昂らせられる。エネルギッシュなフィクションを生み出していかねばな、と思った。うるせえけど。



帰った足でそのままなんの結果も見ずにNOROSHIの配信を楽しもうかと思っていたけれども、映画の余韻が凄まじくてなかなかそういうわけにもいかなかった。一晩開けて頭の冴え渡った昼間のサンマルクでしっかり楽しませてもらった。
もう今さら言うことでもないんだけれどもみんながみんな面白くて、すっかりやられてしまった。オンラインの良いところは巻き戻して何度も見られるところで、気に入ったところを何度も見てしまった。「なるほど、このくだりはこうなっていたのか」とか「すごい工夫がなされていたな、僕にはできないな」とか思いながら見返しているうちに段々「そういう楽しみ方をするものなのか?」とも思えてきた。14歳の栞じゃないけれども、一発の強烈な印象を胸に抱えたまま鼻息荒く歩き出した方が自分にとって良いような気もする。
叙情的というか、有り体に言うと恋愛をテーマにして「そーーんな風に心をくすぐっちゃうの〜!?」と思うネタが多くて、どれもこれもとっても良かった。段ボールをぶっ壊す、言っちゃいけないことを言いまくる、YouTube等を教科書にした滑らかでテンポの良い漫才をする、そういうのが他所様に雑に伝える時の大学お笑いのステレオタイプだったんだけれども、もう余裕でそういう段階には無いようだった。トレンドみたいなもんでまた数年したらダイナミックに段ボール戦車を走らせながら軍服を着て叫ぶみたいなコントが現れるかもしれないけれども、今は今でものすごく進んだことをやってるんだなァと、めちゃめちゃ興奮した。ぶっちぎりでうるせえと思うけど、ともかく興奮した。
うるさくしたらめちゃめちゃありがたがれるくらい、権威的に、もりもり売れっ子カリスマに、なりたいものだな、今年中には。不純で下品な願望だけど、愛してるものには愛されたいものな。


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