スパイス

今年も大学芸会のMCをやらせてもらえた。
昨年同様大変熱くて、熱気にクラクラして、余韻に追いすがりながら寂しく寝て、起きたら涼しくなっていた。嘘、実際のところは数日前から若干涼しくなり始めてはいたけれども、8/31をもって夏の区切りとさせてもらう。

最初からドカドカ拍手が起きる素晴らしい熱気だった。
大学生らしいギミックの仕込みに転換中の絶望ビリーが鳴り終わるみたいな憂き目も何度かあったけれども、それでもお客さんが集中を切らさず絶対に全ての笑いを受け取ってやるぞと、余すことなく全身でおもしろのエキスを浴びてやるぞと言わんばかりの前のめり感、異様だった。

「福来る(ふくきたる)」というHOSピンの子が、「4年間全然ウケて来なかった。そんな自分もここに立てた。みなさん(客席にいる演者諸君)も絶対諦めないでください」と宣言した時は客席が素晴らしい喝采に包まれた。
こんなんはめちゃめちゃ分かりやすいドラマで、めちゃめちゃに分かりやすくサイコーで、他にも鼻ツンの瞬間がたくさんあって大変だった。

舞台袖で出番を終えたコンビが「いけるよ、頑張れ」と声を掛けて去っていった。
ベストパフォーマンスじゃなかったと思しきコンビが無言でそそくさと去っていった。悔しかったろうなと、鼻ツンだった。
袖のスタッフさん方はきびきびと、自分たちが大会を動かすんだと、みな凛々しかった。

終演に近づくにつれ、アタック音がHelsinki Lambda Clubに変わる感じにめちゃめちゃうっとりした。
無論、エンディングで流れるガガガSPもサイコーだった。



毎年言っているようで情けないけれども、ともかく僕ら自身の格を上げていかねばならない。呼んで喜ばれる存在でなきゃいけない。僕は喜んで袖からみんなのネタを味わえてめっちゃハッピーだけれども、ネタを見られる側もめっちゃ嬉しいみたいな、そんな存在でないといけない。
大学お笑いおじさんと呼ばれるのがもうしんどい。好きなものを見て喜んでいる様を卑しく見下されたんじゃたまらない。なめさせない。誰に石を放ってるのかよく分からんけれども絶対に勝ち上がる。ほげほげ言うにとどまらない。格を上げる。


そんな魂を胸に見終えた大学芸会、みんなが青春を賭けた大学芸会、1日挟んで、キングオブコントの準決勝2日目を見に行った。
30組が、青春なんてもんじゃない、人生を賭けていた。青春は青春で尊い、思いに貴賎なし、そうはいってもやはり、人生を賭けていた。頭がくらくらした。

来年はここでネタをやりたいと思うし、その上でめちゃめちゃ目立たないといけない。
みんなめちゃめちゃすごかった。今こうしてめちゃめちゃ笑っている自分、唸りながら笑っている自分、この自分を物差しとして、この自分を同じように唸らせられるような何かを持っていく。
途方に暮れそうにもなるけれども、やってやれないことはない、そういう気、その気をもって過ごしていきたいと思った。




お笑いの面白くてもどかしいところは、やる気に燃えたその瞬間なにか素晴らしいアイディアが下りてくるということはないということである(そういう人とかケースもあるかも知れないが)。
やる気に燃えたその腕でダンベルを上げたり、その足でダッシュしたり、その脳みそで問題集を解くということができない。
燃やしたやる気をそのままに、クールに、落ち着いて頭を動かさなければならない。

じゃあどうすれば良いか、正解はないので、とりいそぎ人生ではじめてカレーを作った。情けないことに僕が経験した料理は一人暮らしをしていた3年間の間に数回だけ作った豚キムチくらいのもので、包丁を握るのも億劫だし、みりんが何なのかを知らない。
書いてあることをそのままに、ちょっとだけ自分の頭を使って、ノリと裁量で、なんとかかんとかカレーと呼べるものができた。
にんじんがにんじん臭かったのと、じゃがいもがじゃがいも臭かったの以外はおおむね美味しかった。野菜はきちんと柔らかくなっていて、柔らかくなっていたということは火が通ったということではないのか?炒めたはずだが?これを機にどんどん作るぞ、とはなっていないので真相は分からないままだが、初めてのことに触れた。それだけでいくばくか脳に刺激があったはずだ。
野菜を煮込んだことがあるから、にんじん臭いにんじんに腹が立ったことがあるから、米びつにあんまり残ってなかったからおおよそ目分量で「1.7合」としてお米を炊いたことがあるから、そういうきっかけで生まれる発想もこの世にはあるはずだ。知らんけど。

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