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たった一つのこと

いくつかアイディアを捻り出さないといけない用事があって、ルノアールに入ろうがサンマルクに入ろうがにっちもさっちもいかず20時を迎えてしまったものだから、散歩に活路を見出すことにした。
帰宅を先延ばしにし、Spotifyのランダム再生を相棒に黙々とウォーキングに勤しんだ。

仕組みはあんまり分からないけれども、お気に入りにしていなくても関連する曲がぽんぽん再生される。昔MDでよく聴いていたモンゴル800からスタートすると、時代を感じる、ノスタルジーをくすぐる曲が立て続けに再生された。



セブンイレブンの前で喧嘩しているカップルがいた。
女の子は涙を浮かべている様子、わりあい長身な彼は所在なげにじっとしている。ひとしきりの口論を終え、荒れた盤面を前にジッと終局を待つか、はたまたもうひと小競り合いが起きるかという緊迫した場面に見受けられた。

そんな彼らを横目に、ひゅう、この荒んだ世界を切り抜けられるのか君たち、とばかりに脇を通り過ぎんとしたまさにその瞬間だった。

イヤホンから、ゴスペラーズの「ひとり」が流れた。
透き通った、荘重な『愛してるーーゥーーーーって最近』だった。



めちゃめちゃ笑ってしまった。

この2人はもう、ゴスペラーズに包み込まれている。どう考えても、どう考えても上手くいく。そりゃ何度も揉めたり、今回以上のピンチが訪れたりするかもしれない。なんならこの喧嘩の末別れを選ぶことになるかもしれない。
それでも必ずやどこかで、また照れ臭そうに手を繋いで同じ家に帰って来る日が訪れる。だって僕が今あなたたちの未来を案じたまさにこの瞬間、僕の耳にゴスペラーズの「ひとり」が流れたのだから。
彼らの耳には流れてなくない?関係ない、それくらいのパワーがある。ゴスペラーズの「ひとり」にはそれぐらいのパワーがある。


ヘビーリスナーとかでは全くないんだけれども、小さな頃、MステとかカウントダウンTVで流れるゴスペラーズのパワーはめちゃめちゃ覚えている。
幼少期や思春期の、いじらしさ、どうしていいか分からないキモさ、やるせなさをぶん回していた時期に触れた音楽にはものすごいパワーが秘められている。



音楽をオススメする、されるというのは本当に難しい。聴けば2〜6分で済むものではあるけれども、自分がうっとりした心そのままに相手に響くのを望むのは、映画や小説に比べてもずっとハードルが高いような気がする。

映画や小説は、情報量が多い分、「ここが素敵」「ここは良い」「ここはピンと来なかったけどまあ許せる」みたいな幅の広い受け取り方が出来るけれども(反対にケチのつけどころも多くもなるが)、音楽は短い分最初の印象に左右されるところが大きくて、加えて専門家でもなければ感想を言語化するのが難しいからかもしれない。
「明るい」「暗い」「激しい!」「しっとり」「怖い…」「キュン!」みたいな、デンモク上で入力する謎のアンケートみたいな感想しか出てこない。



去年からSpotifyを使うようになって、マカロニえんぴつを知って、ネクライトーキーを知って、ドミコを知って、「すごい、まだまだドキドキできるじゃないか、フレッシュなバンドたちに心躍るじゃないか、今まで何千曲とときめく音楽をスルーしてきた可能性があるぞ」とワクワクすることも少なくないけれども、それでも青春時代に食らった音楽の原体験には叶わなかったりする。
わざわざ書くまでもないけれども当時のミュージシャンの方が優れているという意味では全くなくて、それほどまでに子供の頃に受け取った文化の持つ力は凄まじい。




高校の頃、15歳の誕生日プレゼントでもらったiPodをお供に自転車通学をしていた。

流れていたのは覚えたてのthe pillows、姉からオススメされて聴いていた風味堂(この世で僕しか聴いてないぞ、という失礼で痛々しい自我があった)、あとBUMPとかアジカンとかテレビで流行っていた曲だいたい全部、だった(ELLEGARDENだけ何故か一切触れてなくて、大学に入ってからなんで?となった。なぜわりとみんな聴いてたのに僕だけ一切聴いていなかったのか、ELLEGARDENに触れる全てのタイミングを奇跡的に逃していた)。


ひときわ印象的だったのはスキマスイッチの「ガラナ」だった。映画版『ラフ』の主題歌であった。

最近体調は悪かないが心臓が高鳴って参っている
炎天下の後押しでもって僕のテンションは急上昇フルテンだ


歌い出しが最高だ。参っちゃう。好きな女子がいたらさ、爆走しちゃうよと言わんばかりにときめきながら自転車を漕いでいた。
今冷静に振り返ればときめく権利を持つのは速水もこみちと長澤まさみに準じた存在で、僕のようなバスケ部でいうと、ダンス部の女の子とまさに付き合わんとしているポイントガードの男子はまさにガラナであると言える。控えのセンターが吹奏楽部の子に恋するための曲ではないように思える。
でも関係ない、冷静に見てうまくいきっこない、全然ガラナではない男子にも立ち漕ぎをさせるパワーがある。ガラナのせいで同じ女の子に3回も告白してしまったという解釈もできるが、だからといって昂った情動を否定するわけもあるまい。あと「夏の思い出」のせいでもあるし「366日」とか「琉球愛歌」のせいであるとも言える。めちゃめちゃ恋してた。控えのセンターだったのに。



思い出を交えて音楽に食らった情動をどうにか、どうにか伝えたいなと思っても、基本的にはあんまり響かないことはよく分かってる。
どんなに偉い人から間接的に聞いた曲の話よりも、自身の耳に運命的に響いた曲が最高最強であるから。「実家のカレーがいちばんの法則」と同じ。

あなたの音楽を愛しましょう。あなたに二度とと悲しい歌、聴こえないように。

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