見出し画像

簡単に人を差別する人たち

 ある日の勤務日。1組の5,60代くらいの夫婦が席に座った。
 ご飯を食べ始めてすぐ、「生ウニないの?」と聞かれた。ここ数日間は風が強くて、ウニ漁ができていなかったので、蒸しウニを提供していた。自分と他の従業員もその旨を説明して、納得してもらえるよう心がけた。けれど、終始不機嫌。いらいらして、納得のいかない表情のまま、食事を終えて出て行った。 
 そして翌日の夜。そのお客さんは2泊するので、また食事をしにきた。さすがにウニのことについては不満を漏らさなかった。その代わりに、食事について小言を言ってきた。

「味噌汁の出汁とってる?味見したことある?」
「味付け全然美味しくないんだけど。料理作っているのは、女の人?外国人?」

 こう言ったことをご飯や飲み物を出す度に言われた。行く度に何か言われるので、そのお客さんのところに行くのが本当に嫌になっていた。言われる度に、作り笑顔とてきとうな返事でその場を乗り切った。

 さすがに許せないと思ったのが、料理を作っている人の性別や国籍を問うこと。なぜ女の人や外国人が作っているのか問うのか。発言の裏には、厨房で料理を作っている人=男の人という認識がその夫婦にあるのだと思う。そして、男の人以外の人が作っているから、味付けがおいしくないと思っている。

 そこに俺は強い憤りを感じた。性別や国籍によって、人を無意識に差別し、つまらない固定観念に囚われている。他者への寛容性をなくし、排他的・攻撃的になる。そこから他者との分断が生まれて、分かりあおうとする努力を放棄する。1人1人のそうした行動が結果として、社会の硬直化、余裕のなさを生み出して、社会全体として性別や国籍への差別が問題になってくるのだと思う。あなたは差別をしているつもりはないのかもしれない。でも、意図して発した差別発言よりも、無意識に発したその差別発言こそが、残酷で病的な差別発言だと俺は思う。

 当たり前だけど、世の中には色々な人がいる。その人たちを見た目、性別、国籍、能力などですぐ貶めて差別してはいけない。自分も何らかの理由で差別される可能性がある。だから、自分の気分や好みで、人を差別する権利は誰にだってない。
 今回、無意識に性別や国籍で差別する人に出会った。ということは、一定の割合でそういう人たちがいる。差別をしてはいけない。無意識でしているなら、自分の発言に意識的になる。自分にも他者にも寛容の精神をもちたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?