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ちょっとだけ不便

午前中から出かけないといけない今日、交通系ICカードなどが入ったカード入れを忘れた。
それに気付いたのが、今日は歩いて最寄り駅まで行こうと30分かけて駅に着いた時であった。
改札口で気付いてももう遅い。
家に取りに帰る時間なんてまったくないし、なんならさっと通れなかったせいで、予定していた電車に乗れず遅刻しそうである。

仕方なく切符を買って入ったのだが、今日に限って何回か電車に乗る日だった。
最後に切符を買ったのは何年前?と思い出せないくらい、長い年月も切符を買ってない。
それでも不思議なことに切符売り場の場所は、過去に買ったことない所でも、問題なく覚えていた。意外と切符売り場って知らない内に刷り込まれているもんだなと思った。

逆に覚えていないのは運賃だった。
毎回改札を通るたびに表示される運賃を見ているはずなのに、いざ切符を買おうとすると正確には何円とは分からず、運賃表から探す。
まぁ数字を覚えるのが殊の外苦手なので、意外ではないかもしれないのだが。

電車を乗り換えるたびに切符を買ったり、途中から一緒になった友人に断りを入れて切符売り場に行ったりする。
非常に些細なことだけれども、ちょっとした手間である。
改札も場所によってはICカード専用なので、うっかりそのレーンに行くと、少しだけ疎外感を感じる。

と書きつつ、今回一番驚いたのは、思ったより面倒ではなかったことだ。
手間なのは、本当に些細で、本当にちょっとしたことなのだ。
財布には千円しか入ってなかったので(カード類もカード入れに入っており、スマホ決済も使っていない)、ATMに行く必要もあったのだが、それすらもそんなに面倒に感じなかった。
友人を待たせてしまうのは少し申し訳なかったが、それも切符売り場はまったく混んでいないので一瞬だった。

交通系ICカードによってとっても便利になった気がしていたが、程度としてはそこまでだったことに気付いた不思議な体験だった。
世の中、どんどん便利になって、昔に戻るのは難しいと思いがちだが、意外とそうでもないのかもしれない。

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