モニタリングのすすめ

モニタリングとは

「モニタリング」とは、大雑把に言えば「システムや環境の状態を継続して追跡してデーターを収集する事」である。

継続することから見えて来るもの

「変化」を見極めるには、継続したモニタリングが必要だ。ある特定の物事についてある特定の瞬間だけを途切れ途切れに見ても、それが日常的(通常)な状態なのか、それとも非日常的(異常)な状態なのかは判断がつかないであろう。もっと言えば「安定している」のか「異常に向かっている」かのどちらに傾いているのかは、モニタリングの積み重ねによってしか得られない。その瞬間「異常」であれば誰にでも判別はつくだろうが、そういう事態になってしまってはもう手遅れで、後手での対応に回るしか無い。普段から目を配っておく事で、常ならぬ状態を知覚出来るのだ。もちろん、知識や経験も必要だが、「見続ける」事無くして知覚する事は出来ない。

システムだけではない

 モニタリングが有用なのはシステムに関してだけでは無い。例えば仕事の進捗や状態でも、定期的に観察していれば上手く進んでいるか進んでいないか、はたまた困っているかなどが見えてくる。こまめに状態を把握することが出来れば有効な手助けなど早めに手を打つことが出来るだろう。しかし終わりの方にだけぽつんと見たのでは手助けしようにも手遅れな場合が多々あるし、品質を上げるなど細かい手助けなども入れられない。こう書くと「当たり前の事では無いか」と思うだろうが、驚くほどこれが出来ていないケースを見ることも多い。個人的には細かく様子を窺う(逐一聞きに行ったり、報告を求めたりするわけでは無い)のはマネジメントの基本の一つだと思うのだが、どうやらそういう認識の人は多くないらしい。

コミュニケーションにおいても

 また同僚や部下、ひいては上司の状態なんかもそうだ。別段データをとってモニタリングする訳では無いが普段から定期的に気にかけておく事でいつもと違う状態(悩み・体調不良・etc.)に陥っている時早めに気が付くことが出来る。気が付くことで初めてどう対処する(しない)かを考慮・選択する事が出来るのだ。ごくたまに思いつきで声をかけている程度ではおそらく(顔色が悪いなど余程の変化があれば別だが)気が付けないか、もしくは深刻度の判断も出来ないであろう。そして突然の退職願いに驚く事になる。コミュニケーションにおいてもモニタリングは非常に重要(むしろモニタリングこそがコミュニケーションの大きい割合を占める)な要素なのだ。

おわりに

 単純(だが重要)な例を上げたが、これら以外にも広範囲でモニタリングを心がけていれば役に立つことは多い。しかし(特にシステムのモニタリングについて)コストはそれなりにかかるので、実施を承認して貰うのに苦労する(承認されない)事もあるだろう。自分が痛い目を見ないように、出来る範囲で実施するようにして行きたい。


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