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【読み放題対象】「日本人として恥ずかしい」的なお気持ち表明が大好きなくせに、「日本人として誇らしい」みたいな気持ちは全力で抑圧しようとするリベラル~「日本がスゴイんじゃない。選手個人がスゴイだけだ論」徹底解剖~

今回は、オリンピックにナショナリズムで沸き立って何が悪いんだ?という話。日本のメダルラッシュに沸き立つ「日本人」がとにかく面白くない人々がいる。その種族の名前は「リベラル」と呼ばれる。オリンピックで日本がメダルをとるたびに、次々とまろびでてくる恒例行事のお約束、「日本がスゴイんじゃない!選手個人がスゴイ」という発言。なんで彼らはわざわざそんなことをいうんだろう、こうした素朴な帰属意識と高揚感にいちいちケチつけるからリベラルはどんどん嫌われるのである。前も書いたが、リベラル種族は、とにかく「戦争の加害責任」とか、日本の負の側面を取り上げるときだけは、「個人である前に日本人」「日本人はこれを反省しろ!」みたいになるくせに、いざオリンピックみたいな競技がはじまってメダルラッシュに熱狂していると、「日本人である前に個人」「個人が偉いんで日本は偉くない」「お前ら喜んでるんじゃねーよ」みたいな言い方を始める。

オリンピックをみて「日本人として誇らしい」みたいな国民感情には「全体主義だ」などといいながら全力で抑圧しようとするくせに、いつもは「日本人として恥ずかしい」的なお気持ち表明するのがリベラルなのである。「リベラルとは喜ぶ日本人を憎むことと見つけたり」という感じだが、しかしこれでは本当にリベラルが見放されてしまう。それが心配になって私は書くことにした。私はリベラルをこよなく愛するものである(本当)。

むしろリベラルや左派のテンプレのような発言であり、全然珍しくないと言うか、うんざりではありますが・・・。

この「日本がスゴイんじゃない!選手個人がスゴイ」とは、国際競技で日本人が沸き立つたびに必ず見かけるもので、ほとほとうんざりされている。はっきりいって「創造性の墓場」のようなツイートなので、茶化され続ける一方で、まじめに取り合う人もいまや殆どいない。というかそもそもこの人、「朝日新聞がすごいだけで、お前はすごくない」というような人生をずっと歩んでいた人ではなかったか。「お前はすごくないよな!たしかにな!」という感じである。

ただし、窓際にいる間も彼は、朝日新聞社員の肩書で、歪んだ価値観の政治ツイートを量産してくれた。そして「こういう人間が朝日新聞を作っているのか、やはり朝日新聞を読むとバカになるな」と広め続け朝日新聞の部数減少と経営悪化に最も貢献した朝日新聞アカウントの一人である。その功たるや大というべきだろう。

閑話休題

さて、反応をみてみる。「日本がスゴイんじゃない!選手個人がスゴイ」に対して真面目に反論しているものは、以下のような「国」もしくはスポーツバックアップ体制の支援をあげる論点だろうか。

・選手個人が凄いことと その個人の選手を国も含めてあらゆる形でバックアップしている方達の存在を全くもって理解してないよね。
・確かにすごいのは選手です。しかし環境面はやはり「国」が大きな役割を果たしているでしょう。インフラ、競技場・練習場、予算、競技人口等、様々な要因が絡んできます。
・スポーツは科学。日本は科学力がある

とにかく現実面のメリットを上げる方法だ。実際、「お前は当たり前と思っているかもしれないが日本もスゴイのだ」というのを「難民選手団」と比較する人(平戸市長だとか)もいた。

さすがに「難民選手団」まであげなくとも、日本のように優れた国のサポートやスポーツ医学、環境面は、それこそ血反吐を吐くほど羨ましい国々が世界の大多数かもしれない。

しかし一方で、たとえばアメリカをはじめとする先進各国、そして中国、ロシアのような国威発揚に命をかける強豪国であれば、メダルをとった選手の報酬面も含めて、日本以上の支援体制があったりするだろう。アメリカでは金メダルをとった後のコマーシャリズムでモチベーションが高くなるだろうし、専政的な国であれば金メダルをもらってくれば、王侯貴族のような暮らしが約束されるかもしれない。

しかしこういう行政的なあるいは経済的なベネフィットをあげられて、「ほら日本だってすごいんだ」といわれても、イマイチ、どうもピンとこないのではないか(きますか?)。

ポコペン国の場合

では、思考実験だ。逆に国としての支援体制が優れていないし、競技場もないし、そもそも人口も少ない、医療体制も、科学も遅れている未開の国があって、仮にポコペン国としよう。そのポコペン国の選手がケロンレスリングで初出場にして念願の金メダルをとった。彼の名はプータン。貧しいながらも彼を精一杯応援していたポコペン国民たちは涙を流して喜んだ。三日三晩、国民は彼の功績をたたえ、「プータン!よくやった!」「ポコペン人として誇らしい!」「偉大なるポコペン万歳!」と大喜びの宴を開いてポコペンポコペン踊った。

しかし、そんな国にも一人くらいは、「人と違ったことをいう俺様ってかっこいい」タイプの人間がいて、「ポコペン国がスゴイんじゃない、プータン個人がスゴイだけじゃないか」といってしまった。
実際、ポコペン国民がいくら頭をひねっても、他の国より選手のサポート体制も、そして環境も整っていなかった。プータンは、畑仕事のあいまに、近所の泥沼の中でひたすらケロンレスリングの練習をしていただけである。彼を教えてやれる人もいなかった。あえていえば、この国のケロン泥の質がとてもよいくらいか。そんなひたむきに頑張る彼をいつのまにか国民は愛し、国民議会は、なんとかなけなしの予算をやりくりして、東京オリンピック2020にプータンを単身で送り込んだのだ。そして数々の激闘の末、金メダルをとった。

その場合、「選手個人がスゴイだけだ」が成り立ってしまうんだろうか。なんだかそんな話じゃないんだ、と思わないだろうか。

「ポコペン国がスゴイんじゃない、プータン個人がスゴイだけだ」といわれたときのポコペン国民の救いのなさはどうだろう?

日本の場合は、「たまたま」、選手のサポート体制や環境が世界でもそれなりにトップクラスなだけだ。そうではない国、たとえば貧しい国民たちが、なんとか送り出した選手たちが、金メダルをとったって、「うちの国はすごい!」が成り立つという話が私はしたいのだ。

つまり、そもそもこの話はそういう物質面のベネフィットの枠組みにはないのだ。結局、「ポコペンがスゴイんじゃない!選手個人がスゴイ」というのは、個人の能力主義であり、マッチョイムズ丸出しのマウント行為ではないか。
「何も成し遂げられたことがなくても、無能でも、社会のお荷物でも、ポコペン人ならポコペン人というだけで価値がある。この思想をリベラルは超えられない」という話をしよう。では、リベラルとはなになのか。超わかりやすい2つのリベラリズムの話からはじめる。以下、なんだかモヤモヤした我々の気持ちを次々とキレイさっぱり吹き飛ばし、「選手がスゴイなら、日本もスゴイのだ」と立証する怒涛のテクストをお送りする。


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