見出し画像

【ニワカ式】フェミニストたちは2回レイプする

ルドルフ


フェミニストたちは2回レイプする――傷ついたところをファンに応援されて嬉しいよというVTuberに、フェミニストたちは、「アンフェの姫」「すっかりフェミ叩きの道具」「ミソジニストの弾除け」と言い出した。

フェミニストたちは2回レイプする――「戸定梨香の中の人はおっさん」「おっさんが無理して少女のガワかぶってる」と攻撃しているフェミニストに、「いいね」つけていったのが全国フェミ議連の代表者だった。

VTuberが「殴られたから殴られたよ」と被害を告発しただけで、フェミニストが来たりて、また殴られてしまう。

まさに「被害にあった人が被害を告発しようとしたら抑圧しようとするロジック」(セカンドレイプ)そのものの仕草だ。「セカンドレイプを許さない」「被害を受けたらちゃんと言える世の中をつくる」という人々が率先して、自分たちの都合の悪い言説には「セカンドレイプ」してしまう。フェミニストたちはもう二度とセカンドレイプを叩けなくなるのではないか。「セカンドレイプの町・草津」とかいっていたが、「セカンドレイプの町はおまえたちの脳の中でこそシムシティーみたいに拡大中だよ」という感じだ。

哲学者のアドルノは、こうした「被害者を攻撃する群集心理」を、「最も不吉なファシズムの予兆」といっている。どうしてこうなった。フェミニズムはファシズムの一種だったのか。女性の自由を拡張するのがフェミニズムだとおもっていたら、「女性」(とみなしたあらゆる表象)を抑圧するのがフェミニズムだったのだ。前回書いたようにフェミニズムというイデオロギーは、その必然としてフェミニズムに全く向いていないのではないか?

「傷つけられない権利」を行使する人たちの加害性

「全国フェミニスト議員連盟宛抗議と公開質問状」というメガヒット中の青識亜論氏の署名の檄文からして「(VTuberとは)現実の肉体の年齢や性別を超えて、まったく異なる理想の身体になるという、新しいセクシュアリティを獲得した人々の意思と想いがこもったこの新しい文化」とあるように、そこがフェミニストに訴えるべき新しい価値となっている。その檄文に人々は快哉をあげて、賛同した。

要するに、VTuberというのは、フェミ議連のいうような「(アニメキャラクター)」ではない。いや、私達は、それこそ単なる「キャラクター」にすぎない宇崎ちゃんであっても、「巨乳を強調したオタク媚びコンテンツで環境型セクハラです」といわれ腹がたつのは、なぜか。もちろんその背後に「かまってほしいからウザいことしちゃう宇崎ちゃんのウザデレ要素」に、「意図せずその巨乳という身体性が絡んで純情な先輩を困らせてしまう関係性」なり物語性を愛しているのであり、乳自体を愛しているわけではない(愛してもいるが)。宇崎ちゃんという物語内で主体性をもって生きている一人の女の子のキャラクター(人格)を、フェミニストたちは単なる「男媚びのために巨乳しか存在理由のない可愛そうな人形」扱いする。そこに、一種の人権侵害すら感じるわけだ。宇崎ちゃんのように背後に物語性をもつキャラクターという存在からして既にそうなのだから、まして「アバター」となると、それ自体が、本当に、ひとりの「女性」そのものである。

「お前のせいで性犯罪を誘発するんだ」「お前は再生数を稼ぐために乳揺れ男媚びコンテンツ!」という「彼女」にぶつけられた声は「人権侵害を感じ」どころか「人権侵害そのもの」なのだ。

VTuberとは「自分がなりたい外見」というか、それは中途半端な説明だ。いつのまにかそれこそが「自分自身のペルソナ」なのだ。多くの人々はそう考え、そうフェミニストたちに訴えた。

「その人の分身を攻撃したことがわかっているのか」
「生まれ持った姿ではなくて、なりたい姿になっている人への攻撃って、それ自体が容姿・性別・年齢への差別ではないか」
「Vtuberというのは自分の分身なんだ。おまえが乳が揺れている男媚びコンテンツだの性犯罪だいっているのは、人格そのものなんだぞ」

そうした声声、全くそのとおりだ。私もそう思うし、このnoteを読む貴方もそうおもうのではないか。

かつて私はアバターという言葉をつかったが「アバター」という言葉、語源はサンスクリット語の「アヴァターラ」で、神の「化身」という意味だ(民明書房ではないよ、本当だよ)。つまり、われわれの肉体世界から、仮想世界に降り立った「化身」がアバターということになる。そしていまやその仮想世界こそが、現実世界になっている人々にとって(一日Twitterに5時間以上はりついている人にとってツイッターこそが現実…)、「アバター」とは別にキグルミではない、本当にその人そのものなのだ。

私だってTwitterアイコンが「ニワカちゃん」で、わざわざ「丹波薫」という男だか女だかニワカにはわからないユニセックスなハンドルだが(私は性別も年齢も明らかにしていない)、いや嘘でもなんでもなく、自分の顔を思い出そうとするとなぜかツイッターのアイコンが思い浮かぶほどだ(そういう経験は貴方にはありますか?)。

いや青識亜論と言う人のことを想像しても、実物の写真も偶然どこかでみたことがあるのだが、やはり猫耳巨乳女子高生のアイコンが目に浮かぶ。ツイッターのアイコンとは、ことほどさようにその人にとってのペルソナであり、非常に重要である。

「こうしたVTuberのペルソナ的意義を感じているからこそ、この署名活動はこれほどもりあがった。フェミニストは早く気付け!」「フェミニストたちはもっとアップデートしろ!」という声が乱れ飛んだ・・・。

そしてさらには、「だからフェミニストはだめなんだ」「フェミニストは現状分析ができていないからこそ、VTuberを燃やしてしまった」――

もしや貴方は、正しい知識をフェミニストたちに伝える――「VTuberのような3Dアバターによって、人々はむしろセクシュアリティやエイジズム、そしてルッキズムから離れ、自由な生き方ができる。これこそが真の意味でのフェミニズムの理想じゃないですか?」――といえば、こうした炎上は解消するとおもっているだろうか。

しかし、これらの言葉は全くフェミニストたちには効いていない。いやいや、事態は執拗にも逆なのだ。フェミニストは「だから怒っている」。私は本当の意味で「政治的に正しくない人間」なので、書いてしまうが、フェミニストたちにVTuberを啓蒙するとか、フェミニストに「アップデート」を促すとか一切無駄である。アップデートしたフェミニストなど、ただより面倒になるだけであり、フェミニストはフェミニストであるがゆえに、理解が進めば進むほど、むしろ決定的な対立が深まる――この対立構造をなくすための方法は一つだけである、どういうことか?そもそもフェミニストたちが、VTuberのようなアバターに「怒っている」のは――

ここから先は

3,044字 / 1画像
ちょっと新しい切り口でSNSでもりあがった話題を取り上げます。月に1~2本の本格的な論考、2本以上読む場合、月購読のほうがお得です。その月投稿の全てのnoteはもちろん、タイトルに【読み放題対象】【ニワカ式】【ニワカ放談】となっている全てのnoteが読めますよ。

優しいネトウヨのための嬉遊曲。 おもしろくてためになる。よむといいことがある。

和菓子を買います。