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「人類は思い出した、奴らに支配されていた屈辱を」

「なにもかも不快感から排除する社会」とはある意味、「フェミニストたちの望んだセカイ」だ。

だが、そのセカイで「最も不快感から排除されるべき最優先課題」こそが、「フェミニスト」たち自身になってしまった――そんな現代の寓話について語らなくてはいけない。

そう、今日は「キモいキモいと叫び続けたら、すっかり自分の側がキモっ!と思われ始めたフェミニストたち」について語ろう。


「私たちが悪をこらしめてやったぞ!」と勝ち誇る共産党員の姿。


埼玉県の県営プールで行われる予定だった水着撮影会が、共産党の県議らに「性の商品化は許さない」と「圧力」をかけられた。そうして催行のたった2日前にいきなり中止の要請された騒動だ。実際に中止に追い込まれた水着撮影会の運営会社では約1000万円からの損害が発生したという。

だが、ネットでいまだかつてない規模で「大炎上」した途端、一度は決定プロセスを説明するという形でお墨付きを与えた(ようにみえた)埼玉県知事が、すみやかに土日返上で中止を撤回宣言したのが特徴的だ。

さらに埼玉県公園緑地協会は、中止宣告された水着撮影会のうち4団体の運営に撤回を伝えて謝罪すらした。

既に私は「人々にとってフェミニストはもはや弱者性で守られた権力者でなくなり、『ただのキモい人たち』に見えるようになる。ジェンダー戦士たちは黄昏を迎える」と去年のうちに「予告 おしらせ」していた。その傾向はますます加速したようにみえる。


今回の水着撮影会中止騒動、もちろんグラビア撮影される女性アイドル(モデル)たちは、つぎつぎと生々しい被害報告をした。

「私にとってプール撮影会は何よりの楽しみなのに」
「私たちグラビアのお仕事が奪われていく。おれらのお仕事奪わないでくれ」
「女性の水着姿は公共の場に相応しくない汚らわしいものだ、って言われてるみたい」

こうした共産党の「女性の人権」を名目にしながら個々の性の自由に介入して踏みにじる運動は結局――「自分から進んでグラビア撮影会にでて悦んでるような女性たちは、精神的に未熟で判断能力がないのだ!」「グラビアなどをやる女性には雰囲気にすぐ流され自由意志がないのだ。性の自己決定権などないのだ!」という恐ろしいミソジニーの発露そのものの姿ですらある。「女性の弱者性」「女性の被害者性」を強調しつづけたら当然至る結論だ。

すなわち、フェミニズムは、かつて「一人ひとりの性の自己決定権」というものを重視していた。リベラリズムであった。ところが今や「私達(女性)は性的なものは不快だ。性の商品化だ」などと、全体主義的に個々の女性の「性」を取り締まるパターナリズム側になった証明である。ある意味、「ラジフェミの正常進化の成れの果て」というべきだが。

共産党関係団体などは「こうした水着撮影会に大金をはらって水着撮影をする男性はどんな視線で女性をみて、一体何を目的としているのか」といったような「問いかける形」の典型的な扇動もおこなったが、要するに単なる遵法イベントである水着撮影会に、「内心の悪」をみつけだして裁こうとした。
――「ほらほら、こうやって撮影した水着の女性をキモイことに使ってるよ。これはイケナイことだよね。キモいんだから排撃してもいいよね」というわけだ。

今回のケースがすごいのは、「(男性の”ズリネタ”はキモくて不快であるから)私達の見たくない権利を尊重しろ!」系のいつものテンプレでステレオタイプで多様性がないクレームにすら該当しないのに標的にされたことだ。なぜって、そもそもこの水着撮影会、「県営プールを貸し切りにして、完全クローズドの楽しみたい人だけ楽しむ有料イベント」であるからだ。

というわけで彼ら共産党に対する反発も、「人の愛するものを不快感から排撃しようとするお前らこそが一番不快だ!不快感で何かを排撃していいのなら排撃されるものは、真っ先に、お前たち自身なんだよ!」といわんばかりの圧がすごかった。


私が騒動発生初期に「今回の面白いな」と思った点をなんとなく呟いたら、予想外に拡散していたが、これ要するに「共産党の生存戦略」なのである。

すなわち日本共産党は、伝統的に「反戦平和」の大義名分で表現に圧力をかけてきた。水着撮影会を中止させた問題も、いままで共産党が散々やってきた自衛隊のイベントを潰したり子供の本の戦車の記述に圧力かけて絶版に追い込む「いやがらせ」行為の延長線上で捉えるべきで、共産党の生存戦略なのである。

なにしろウクライナの戦争以降、国土防衛の物語がマスコミで流れ、「命をかけて国をまもる尊い任務」への共感が進んだ。そのため、反軍イデオロギーによる「いやがらせ」は、共産党ですらハッキリ感じ取れるほど風向きが悪くなった。
そこで共産党の存在理由を示すため、新しい活路をフェミニスト事案に乗り換えようとしたのだ。「あっちが駄目だから、こっち」である。

日本共産党が民間の営利活動にまで、さまざまな圧力をかけてぶっ潰してきたのは、なにも今回の水着撮影会がはじめてではないのだ。
「新日本婦人の会」なる日共関係組織は、講談社発行の「はたらくくるま」に「子供むけの本なのにあけてびっくり!戦車や戦闘機が!」と大騒ぎして、講談社に乗り込み担当者を威圧し、この本を絶版に追い込んだ。民間の表現を「いやがらせ」のような圧力で取り締まるのが共産党員達の血湧き肉躍る日常である。

自衛隊と民間がコラボした客寄せイベントがあるとききつけたら、楽しみにしていた子供たちの思いを踏みにじり、「子どもたちに人殺しの道具に興味をもたせるな!」などわめきたて、幾多のイベントを中止に追い込んできた。それこそ埼玉県のショッピングモールでも、2018年に自衛隊による子どもたちとの触れ合いイベント予定があったのだが、日本共産党は「子供の迷彩服試着は市民の不安をかきたてる!」などと民間商業施設に「圧力」をかけ、イベント中止に追い込んでいる。「市民の不安をかきたてている」のは民間に圧力をかける日本共産党(公安監視対象)の間違いではなかろうか。

こうした共産党ゴブリンによる自衛隊への「いやがらせ粘着行為」、表面化するのはほんの氷山の一角なのだが、ウクライナの戦争以降、流石に分が悪いとなって、そこでジェンダー系クレーマーにクラスチェンジしようとしたわけである。

だが、それは完全にやぶ蛇だった。

今回の騒動でなにより特筆すべきは、すなわち、いままで共産党が散々やってきた自衛隊への「陰湿陰険ないやがらせ」とは比にならないレベルで大炎上となってしまった。――付け火をした側が火達磨(逆炎上)になった点である。

それは埼玉県知事をして「水着撮影会中止、このまま座視したら大量に票を失いそう」という極めて政治屋的なセンス が発動し、すみやかに事態収拾に動いたことからも証明されている。埼玉県知事は「水着の撮影そのものの行為については表現の自由の中に入ると思いますし、私は特段、公として介入するようなものではないと思います」(6月12日実施知事会見)と語った。これは中学生でも理解できるような「あまりに常識的なリベラルな発言」にすぎないのだが、SNS世界では、その「当たり前」が「当たり前」ではなかったので奇妙な感動をよんでいたほどである。

私宛には「日本人は”自衛隊”より”女の子の水着グラビア”が大事ってことですかい?教えてニワカちゃん!」といった質問が寄せられて、不覚にも笑ってしまった。

だが有り体にいえば「”オワコン”になりつつある反軍イデオロギー」よりも、さらに高速度で「現代フェミニズムの”オワコン化”」の進行を象徴する事態だといったほうが正確だろう。

だからそれについて語る。

「どうしてウクライナ戦争でオワコンになった反軍イデオロギーよりも、単なる性的保守の反映にすぎないフェミニズムのほうがさらにオワコンになったのか」

今、フェミニズムは急速にその「女性の弱者性」や「女性の被害者性」という「権力」を喪失しつつある――ただの「キモいもの」にみえてしまっている。なぜなのか?完全に言語化する。

それが今回の水着撮影会中止撤回騒動ではっきりと示され証明された。そしてそれがなぜいまフェミニズムの「女性の弱者権力」を喪失させようとしているのか。


今日も、あなたのもやもやをスッキリさせるニワカちゃんです


――これがわかれば、この「世界に一定数発生して人類にいやがらせを繰り返すゴブリン」に対してどのように対抗したらいいのか、わかってしまうので伝えたいと思う。今までのように殴り返す必要もない。


今回の水着撮影会をめぐる騒動も、貴方も薄々、感じている通り、「表現の自由の抑圧に対する怒りから多くの人が反対の声をあげるようになり、政治家も動かすようになった」といったような甘い話では全然ないのだ。なぜって、

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