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読み放題対象「キョンのいないハルヒの世界」



なるほど、こういうことなのか。


あの日からずっと行かなければならないと思い続け、ついに私は奈良の西大寺へいってきた。

そうして、わかっちゃったのだ。

――今回も、ちょっとアレすぎて、あまり表で書きたくないことを書く。


わかっちゃった


その日、私は、東京から奈良へ。そして西大寺駅の北口に降り立った。事前に情報は得ていた。すでに供花する場所もないし、現地にいっても、なにもない。もちろん、あの懐かしい「安倍ちゃん」にまた会えるわけでも全然ない。

それでもやはりどうしても、あの場所にいっておかなければならなかった――。はっきりいえば個人的な「心の区切り」の問題である。

献花などは用意しなかった。そっと彼がこの世に別れを告げた「最後の地」をみて、静かに手をあわせられればそれで良かったからだ。

実は私は西大寺には学生時代に自転車旅行で訪れたことがあり、土地勘がある。テレビで見ていても、線路の向こうに写った古い灰色のビルから、「あ、あの場所だ……」とすぐに位置関係を把握した。

だから奈良の近鉄線の改札を出て、迷うことなく確信をもって、北口の方向に歩くと、すぐにみえたのがこの光景である。すこし俯瞰気味にあの「歴史的」な現場をみることができる。何度もテレビのワイドショーなどで図解いりで流れて、そしていまや急速に忘れられつつある安倍晋三が凶弾に倒れた現場だ。


画面左側を拡大してみよう。

このガードレールに囲まれた中で、あの日、「安倍ちゃん」は、いつものように、選挙応援の演説をしていた。

もはやこのようにすっかり日常を取り戻している……

――筈だったのに!?

感慨に浸る間もなく、まだ駅にいるのに、この張り紙がこれみよがしにどうしても目に入る。

え?こんなところまで?


ちょっとびっくりした。

「お花やお供えなどは、故人へのお気持ちと共にお持ち帰りください」

流石に近鉄駅構内(?)にまで、こんな掲示があるとは思わなかった。当局の揺るぎなき鋼鉄の意思を感じる。

奈良市役所公式は、10万人が訪れたという西大寺の献花台の設置が終わると、早速次の内容をツイートしている。

7月18日まで自民党関係者による花の回収がおこなわれていたのだから、その当日に手回しよく「設置終了後は、お花やお供えは個人へのお気持ちと共にお持ち帰りください」とつぶやいたわけだ。

なるほど、しかし確かに現場で献花台がないということになれば、その代わりに、「安倍晋三遭難の地」が見渡せる場所に、故人を思い、そっと花を置いていく人がいるのかもしれない。

もちろん私は、こんな張り紙があるのを、現地を訪れるまで全然知らなかったのだが、この張り紙は、じわじわと「炎上」をしていたようである。なかには奈良市長の「リコール」まで訴えるひとがいる。

そのほかも、「許せん」とか「あまりにひどい」「信じられますか?」「日本国民の気持ちを踏みにじる」「誰が掲示したか書かない姑息」「冷たい張り紙」「故人に花を手向ける気持ちが迷惑だと言いたいのか」などという声だ。

だが、もちろん当然といえば当然だが、一方では逆にそれら「炎上」に対しての反論も非常に多いのだ。「花はゴミ以外のなにものでもない。それなのに無碍にできないし」「じゃあお前の家の前に献花台が置かれたらどうする?」「私のお気持ちに配慮しろ!っていう態度」「処理費用は誰が出すの?」「客観的にみたらポイ捨てと大差ない」「みんなでお供えしたらどうなるか想像できないバカ」「持ち帰って自宅で廃棄しろ」「自己満足のクレーマーたち」「かたす人間の気持ちになれ!」「ゴミが死んだ場所だからってゴミ捨ててったらいかん」「こういうことをするのは国葬派と一緒。日本人なら!とかいいながら国葬で国の金つかって周りに迷惑をかけて、次は花の清掃処分費用で自治体を浪費させる」とかいう声だ。


だが、ひとまず、これらの論の是非はおいてメタ的に考える。なぜって?

――そもそも貴方は気づいただろうか? この張り紙を巡る対立する言説は、全然すれ違っているのだ。

私自身も次のようなnoteを書いた人間だ。「同情するなら金を出せ」ではないが、なんの役にもたたない千羽鶴を自己の「お気持ち」の満足がためにウクライナの大使館に送りつけようとするなど、権力への渇望と区別がつかない、という話をかいた。

それでも書いておかなければならない。

実際の運用上としての問題点だ。私は某社にて広報やマーケティング上の提案や企画をする仕事していた。その経験からいわせてもらえば、この「お花やお供えなどは、故人へのお気持ちと共にお持ち帰りください」という当局のコピーは、一体誰が考えて、そして誰がOKしたのか知らないが、考えた人間は文章能力が致命的に欠如している。

本人たち的には「うまいこといった」的な気持ちで掲示したのだろうが、「炎上」は必然である。

この言葉はなぜ炎上したのか? 簡単な話である。まるで「わざと意図的に挑発しようとして作った」としか思えないレベルで、人を悲しい気持ちにさせたり、または苛立たせる仕組みを踏んでいる。

逆に「安倍追悼にきた人の気分を害さず、花やお供えの持ち帰りを理解してもらい、進んで協力してもらう」という本来の目的で最適化して書かれたのなら、全然、効果的な書き方がある(以下、具体的に提示する)。なぜそうなるのか、人間心理から説明する。


貴方も気づいたかもしれない。この作文をした人間たちは単に、文章能力が欠如という問題ではなく、もっといえば、このコピーには彼らの、抑圧していた「無意識」が現れてしまっている。そのおぞましき正体とはなにか。

これは、もちろん「お前のいい方が悪い」とか「もっと丁寧にいえ」とかいう話ではない。どういうことかといえば――

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