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読み放題対象「ジェンダー戦士たちの黄昏」

もっと加速しないか? そんな声がきこえてきた。


後から振り返れば、2022年は、ジェンダー戦士たちの「終わりの始まり」として記憶されるかもしれない。


今日もニワカがお届けします


加速度的に、ジェンダー戦士たちの「正しさ」が色あせ、力を失っている。もっと具体的にいうとフェミニストたちとは、かつては「弱者性で守られた権力」だったが、いまでは、そんなものは剥ぎ取られた。フェミニストというだけで「社会的に正しくなく、排除すべき存在」キモい的なものへと変容している。完全に「自業自得」とはいえるのだが、なぜ、そんなふうに意味が変容したのか、書くことにした。

立憲民主党の元国政議員による「女性の性的なイラストがこんな堂々と駅出口で広告に!」というSNSでの叫びは、この「潮の変わり目」を全く読んでいなかった。燃やそうとして自分が火達磨になっただけで、なんの成果もえられなかった。駅の広告を管理する代理店側は、「修正重ねており問題ない」「尾辻氏に申し上げることはない」と、一切の譲歩も、交渉の余地もない態度だった。



実は、この現象、一つ前の「二次元美少女の炎上案件」のときも一緒なのだ。つまり「月曜日のたわわ」の時も、広告を記載した日経新聞も、そして講談社も一切取り合わなかった。もはや、企業においては、「性的消費だ!」「未成年の少女を性的な対象として搾取してる!」「環境型セクハラ」「(男性のズリネタは不快であるから)私達の見たくない権利を尊重しろ!」系のいつものテンプレでステレオタイプで多様性がないクレームには、一切の対応もしないことこそが最適解となっている。

「たわわ」のときには、ハフィントンポストなどは記事で、「これまで大手メディアとして(日経新聞が)ジェンダーのステレオタイプを克服するために取り組んできたことは、全て偽善だったのでしょうか」などと必死に、日経新聞を「(彼らの考える)正しい側」に呼び戻そうとしていた。

だが、そもそもが、「非実在の巨乳美少女が制服姿で堂々と日経新聞の全面広告に掲載されたせいで、おぞましき男性の性的な願望が垂れ流され社会は汚染され、未成年の少女が性搾取される!こんなことでは文化果つる非実在少女の性搾取国家の日本は世界から笑われて蔑視されて、国連にいいつけてやるぞヘルジャパン!」みたいな話は、なんだか個々が勝手に解決するしかない心の問題ではないか。こんな妄想にお付き合いしないからと、「偽善」という言葉がまろびでること自体がなにか宗教がかかった狂気を感じないだろうか? さすがは「朝日新聞でも持て余すアレな記者をまとめて捨てる最終処分場」のハフィントンポストの紙面と感嘆するほかない。
 
だが、こうした「離反者を偽善呼ばわりする」言葉は全然響かなくなった。

むしろフェミニストやらジェンダー社会学者みたいな人々のクレームに対応してしまうことこそが、「ヤクザと交渉する」「テロリストの欲求に屈する」みたいなもので、社会コンプライアンスに反しているのだと多くの企業が学びだしている。

少し前まで ジェンダー系の表現へのクレームに対応しないと、「私達は正しくない企業だと思われる」と考えていたわけである。だが今や逆になり、彼等のクレームに謝罪し撤回するなど、むしろ「正しくない企業」になるという空気が優勢になり、あっという間に転換点を迎えつつある。

なによりも、「駅にエッチな広告が!」みたいな話は、「付け火をしたジェンダー戦士の側が火達磨になる」(逆炎上)――もっとありていにいえば、「人の愛するものを不快感から排撃しようとするお前らこそが一番不快だ!不快感で何かを排撃していいのなら排撃されるものは、真っ先に、お前たち自身なんだよ!」の声がものすごい。その排撃の一端として次のようなことがあった。

2021年に、「温泉むすめ」という「二次元美少女コンテンツ」を炎上させたジェンダー戦士がいた。「日本各地の温泉を、美少女キャラ化している。気持ち悪い設定がもりだくさん!現実の性差別・性搾取・性犯罪と本当に地続きの切実な問題です!!!!」とかいいだした。おかげで温泉むすめとコラボしている温泉地でクレームの電話が鳴り響き、「こういう温泉ではスタッフが脱衣場とかで小型カメラで盗撮してそう」などと流言飛語で業務妨害するフェミニストもいたり、または「源泉に毒を流すぞ」と脅迫行為に及ぶものまでいた。
だが今年になって、その報復的措置として、彼女の運営する一般社団法人に非対称戦を仕掛け、運営や資金のさまざまな疑惑に疑惑を重ねて煽り、「エンタメとして飽きさせない闘争」を開始した人物がいた。その彼は、たった1日で裁判費用等として2000万円も寄付金をかき集めてしまったとのことである。

これは当たり前であるようにみえて当たり前ではないのだ。

人々の中で意味空間の変容がおきている――つまり、フェミニストやその客層こそが、もはや「弱者性」「被害者ポジ」でまもられたものではなく、「正しくなく、不快であり、この世界の価値観のエラーであり、排撃しなくてはいけないもの」(キモい)にみえはじめているということなのだ。これはまさに、フェミニストたちが「二次元美少女コンテンツ」や「萌え絵」を叩いていたような不快感による排撃の感情がいまはフェミニスト達自身にむかうようになったのだ。

ではどうしてこんな転換点がおきたのだろうか?

これは企業の広報やマーケティング担当なら、いまひしひしと感じている空気だろう。この「空気」を言語化する。どうしてこのように意味空間の急速な転換がおきているのかわからなければ、当然、この傾向を「加速」させることもできないからだ。なぜ「弱者性」や「被害者ポジ」が有効なシールドとして機能しなくなったのだろうか。

これは実は、極めて単純な力学から説明できる。「非実在美少女のエッチい絵を公共の空間に置くな!こんな絵が公共スペースにあったら、悦んでいるキモチワルイやつらが可視化されて不快だ!」とジェンダー問題に異様に鋭敏な彼女たちは「悪」をつくろうとした、だが、そうした活動をつづけていけば必然として、

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