「365日のシンプルライフ」モノへの考察

今日は、「365日のシンプルライフ」という映画を観た。

フィンランド人の26歳の青年が、失恋を機に自分のもの全てを倉庫に預けることに。1日1つだけ出すというルールを1年続けたときに気づいたことやモノに対する考え方の変化とは、、、?

わたしもモノについて考えてきた。今も考えてると言っていいかもしれない。

少し自分の話をさせてもらいたい。

始まりは、インドへ旅した時であった。家出当然で旅に出たこともあり、持っているものは自分のカバンに詰まっているモノだけだ。
まさに"最低限"のモノを持って、当時わたしは生きてきた。
そのまま、友人のいた横須賀に居を移すことになり、6畳の自分の部屋を手に入れた。そこから、モノへの向き合い方について考えるようになった。
当時のインド帰りのわたしは、石鹸も固形石鹸ひとつで洗っていたし、着替えの服も、3枚くらいで済んでいた。洗濯物手洗いして干していたし、ストールを枕にして寝ていた。まさに、40リットルのザックに入るくらいのものだけで生きていたのである。
それができた要因としては、キッチン用品や家電製品は友人と共有できたこと、そして最低限のモノで生きようと決めたことだった。

実験してみた結果、わたしは心が廃れてしまった。無駄は無い方がいいと言うが、無駄(余剰)によって、クリエイティビティが生まれると思う。全てがそこで完全に満ち足りていたら、創作意欲の持って行き場がなくなってしまった。
そして、そこで気づいたことは"最低限"+アルファのものは、人の心を疲れさせるのではなく、豊かにするためのものなのだと思う。それはつまり、人間は食べて寝るだけの存在ではなく、芸術に心を開ける存在、何かしらの自己表現をして生きている存在ということなのだろう。

最低限の生活は、自分を大きく変えることになる。滅多なことがない限り「モノを買う喜び」を感じることはなくなった。それに引き換え、「買い物による疲れ」はなくなる。制限の中で生きる喜び、工夫する喜びは広がるのであるが、新たな発想というものが生まれなくなる。

まだまだ、これからもモノとの付き合い方は変わっていく。それは、自分のライフスタイルや生き方の変化、居場所の変化へとつながっていく。いろんな変化を受け入れながら、丁寧にモノと付き合っていけたらいいなと思う今日この頃である。

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