「ララランド」夢に向かうということ

以前話題になっていた「ララランド」。
ミュージカルが好きなわたしにとって、音楽が主役みたいな構成はかなり好きだ。
このストーリーの大きなテーマの一つに「夢に向かう」がある。

主人公のミアとサブの2人にはそれぞれ夢がある。真っ直ぐにそれぞれの好きなものに向かい合っていく2人だが、途中に何度も夢を諦めたくなる瞬間が描かれている。
「あなたは本当にそれでいいの?それがあなたがしたかったことなの?」
かなり王道なテーマ「夢」は、同時に普遍的なテーマなのかな、とも思う。

わたしの周りには、「やりたいことがない」という人も多かった。
特にやりたいことがなくても、生きていける。
無理に夢を持たなきゃとか焦る必要はないし(ただ若い時代はそれに苦しむ時期を経験することも少なくないだろう)、それを絶対に追った方がいいとは思わない。好き好きでいいのだと思う。

ただ、わたしは憧れていた。
自分の全身全霊をかけて、それに注力したいものがある自分でいたかった。
そういう人間になりたいと思っていた。
夢を追っている途中でさえ、外から見る人間の視点はキラキラ輝いている。
多分本人からしたら、辛い時間かもしれないけれど、わたしからみたら、めちゃくちゃかっこいいと思うのだ。
「好きなもの」をそのまんま「好き」でいて、それを目指すことって、シンプルに憧れる。

ただ、そんな夢を持ちつつも、いろんな条件でできない人もいる。
自分はできなかったと思っていても、実はできない道を自分で選んだ人もいる。
それははっきりしていることである(無意識な人もいるかもしれないが)。
だからと言って、その道に優劣はない。

物語の最後で、お互いが歩んだ道以外のパラレルワールド(もう一つの世界)が描かれている。
「もしここで、違う選択肢があったなら」
それは、選ばれた道かもしれない。
でも、現実は選ばれなかった道である。

そう考えると、人生は小さな選択の連続だと改めて思う。
小さな一つの選択が積み重なった上に自分がいる。

今だからこそ、「自分で選択すること」
そして、「夢に向かうこと」を改めて考えてみたくなる作品であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?