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芥川賞作家ピース又吉さんにストーリー作りで挑戦!

こんばんは、新田です。


最近、ちょくちょく見てるYouTubeがあって、
それが、芥川賞受賞作家であるピース又吉さんがやっている、

「髑髏万博(しゃれこうべばんぱく)先生」

というシリーズです。


このチャンネルは、

「一般の方が投稿した400文字の短い文章を、
 ピース又吉さんが独自の視点で解釈していく」

というもので、

完全に独自のワールドで自由に解釈していくのが
僕が提唱しているストーリーライティングと
つながる部分が多く、面白いなぁって思うので、


今回は、僕も、ピース又吉さんと同じ題材を使って、

「僕だったら、こう解釈する!」

というのをぶつけてみようかと思います(笑)


それでは、さっそく、見てみてください!


「輪廻転生やカルマ、存在と時間」 


この動画で扱っているのは、こちらの文章

スクリーンショット 2021-09-01 17.10.47

これ、著名な方が書いた文章ではなくて
「一般の方」がネットに投稿したものです。

でも、じっくり読んでみると、
なんだか深い文章な気がしてきますよね。

この文章が、実際に深いものなのかどうか?は置いといて、

「どう読めば、深い文章に見えるか?!」

を考えるのです。


さて、あなたなら、この文章を
どんな視点で読むでしょう??


ぜひ、少し時間を取って、
考えてみて下さい。^^


では、まず髑髏先生の解釈から見ていきましょう。

まぁ、詳しくは動画を見てほしいのですが、

ザックリこんな感じ。
(ぶっ飛んだ視点で、面白いですw)

========
この物語は、4つの段落に分かれて、
それぞれ主人公が異なる。

ポイントは、3段落目だけ「若者」としていて、
他の段落は「一人の老人」「一匹の蟻」「一匹の金魚」と
単数になっている点。

つまり、英語でいうと
1・2・4段落目は"a 〜"で、
3段落目だけ"the 〜"である。

そして、4段落目だけ、
「かつて」
と最初についている点。


このことから、
時系列は、4→1→2→3である。


そして、この物語は

「輪廻転生」

を表している。


つまり、

金魚 → 老人 → 蟻 → 若者

という順番で"転生"している。


老人は、銃で撃たれて死んだ時に、
蟻を潰してしまったから
そのカルマ(前世の因果)で、次は蟻に生まれ変わる。


蟻は、懸命に生きようとするが、
突如、不条理に殺されてしまう。


若者は、前世(蟻)で
何かに押しつぶされて呼吸ができなかったことで
必死に息を吸う喜びを味わっている。


そして、なぜ「若者」だけ、
「一人の若者」とせずに「若者」となっているか?というと、

金魚、老人、蟻としての人生を含んでいるから、で、

最後(若者)は、色んな人生を経験し、
不条理や無常も経験して、

「それでも、必死に生きようとしている」

そんな様を描いているんじゃないか?
========

・・・ということでした。


面白い視点ですよね!


「輪廻転生」という視点は、
僕もよく使う視点なのですが、

特に、ピース又吉さんは、
その視点が、(たぶん)もともと強いんだろうな、
と思っています。


・・・というのも、又吉さんは

「太宰治」

の生まれ変わりなんじゃないか?
みたいなことが(半分冗談で)言われてたんですね。


太宰治と又吉さんって、不思議な共通点があって、

・又吉さんが交際した女性がミチコさん(太宰の妻と同じ名前)

・その彼女と初めてキスをした日は太宰の命日(6月13日)

・太宰の所縁のある場所に(知らずに)ずっと住んでいた

・その近くのお寺になんとなく立ち寄ったら、太宰の眠る寺だった

・祖母の自宅が「走れメロス」を題材としたCMのロケ地に使われていた

・・・といった感じで、
やたらと偶然とは思えない「シンクロニシティ」が
次々と起こったのだそうです。


まぁ本当に生まれ変わりなのかどうかは、知りませんけど、

少なくとも、又吉さんは、
そう強く意識していると思います。


そう考えた時に、
この文章、そしてこの又吉さんの解釈は、
彼が、自分の人生を重ねているような気が
僕はしてるんですよね。


太宰治は、何度も自殺未遂を繰り返し、
最期は38歳で愛人と入水自殺をする、
という短い生涯を送っています。


何度も生きようとして、

でも苦しみが襲ってきて、

それに抗えず、

最後は自ら「死」を選択した・・・


そんな太宰治が、

来世は、前世で果たせなかった「芥川賞受賞」を、

絶対に取るぞ・・・!!!


そんな強い意志を持って
生まれ変わります。


それと繋がるのが3段落目。

スクリーンショット 2021-09-01 17.10.47


類稀なる才能を持ちながらも
夢を果たせず、
苦しみ続け、
最後は自ら死を選んだ太宰治は、

「今後こそは・・・!!」

という、
「たまらない思い」を持って
生まれてきました。


だけど時折、

「前世の記憶」が蘇り、

どうしようもなく虚しく、

ただ混沌を踊らせて、

血の通わないスリルを味わう。


そして、

「死への恐怖」

が何度も襲ってくる(土は迫る)。


だけど、それは前世の記憶。


全てから解放された彼は、

自由に生き、

思いっきり、空気を吸って、吐く。


そして、芥川賞を取った後・・・

前世で果たせなかったことを
ついに果たした又吉さんは、
ふと、思い出します。


かつて、夢だった芥川賞が取れず、
悔しくて、悔しくて、もだえ苦しんだ。

まるで、金魚鉢から出た金魚のように。


「金魚鉢」とは、

・狭い世界

・閉ざされた世界

・不自由な世界

・だけど、安全で、安定した世界

の象徴。


そこから出て、自由になろうとした。


しかし、自由な世界は、残酷だった。


ただひたすら、多くの苦しみが襲ってきて、

もだえ、

もがき、

その命尽き果てるまで、苦しみ続けた。


「金魚鉢の外で死ぬ金魚」

とは、

「誰にも気付かれず、助けてもらえない存在」

の象徴です。


自分の苦しみを理解してくれて、
助けてくれる人はいない。


あるいは、「助けて」と言えない。


結局、太宰治は、
(愛人をのぞいて)誰にも知られず、
入水自殺をしたのです。


<そして第1段落に戻り・・・>

1人の老人が、
ひどく痛めつけられていました。


ここでいう

「1人の老人」

とは、

・古くなった価値観

・執着しているもの

・捨てきれないもの

の象徴です。


でも、これはあくまで「一人」です。

色々ある自分の中の、1つだけ。


だから、「一匹の金魚」と同じ。

これも、自分の中の1つ。


今、まさに、その執着を
手放そうとしている瞬間が来ました。


「最後に、言い残すことは?」


そう自分に問いかけた時、

大丈夫、もう、次に進める。

そう思い、ぎらぎらとした視線を向ける。


老人の脳みそが飛び散った。

その瞬間、

「古く、凝り固まった価値観が、崩壊した」

のです。


ここから、ようやく前に進める。


そうして、一歩ずつ、進んでいく。


自分の中には、

「一匹の蟻」

もいます。


これも、色々ある中のうちの、1つ。


この価値観が、きっと大事なのだろう。


これが、自分というものだ。


そう思って、それをずっと大事にしてきたけど、
ある日突然、崩壊することとなったのです。


今度は、自分の意思とは無関係に、
巻き込まれていく形で。


ある意味、理不尽で、無常で、

再び絶望するも、

その先に、ようやく光を見つけます。


「これが自分だ!」

と思っていたものが、
凄まじい重圧によって
完全に潰された時・・・


ようやく、本当の自分(真我、自己本来の面目、本来性の自分)が
顔を出します。


これまで、

「これが自分だ!」

と思っていたものを守ろうとしていた時は
こんなにも苦しかったのに・・・


全てが打ち砕かれた時、
ようやく、希望が見えたのです。


まだ、彼は、それを実感していません。


さまざまな苦しみが全て消えて、
少し不思議な気分です。


また、苦しみが襲ってくるんじゃないか??

とふと考えるも、

あまり、ピンと来ません。


もう、全てが変わったのです。


もしかしたら、これもすぐ壊れるかもしれない、
とても儚いもの。

だけど、しっかりと、
芯の通った何かが、自分の中にある。


これまで、沢山苦しいことがあった。


でも、今を生きよう。

今を楽しもう。


そして、改めて振り返って(第4段落)、

「思えば、最初はこうだったなぁ」

と感傷に浸りながら、
前に進んでいく。


そんな、

「人が、新しい自分に生まれ変わった瞬間」

を描いているストーリーなんじゃないかなぁ?


と僕(新田)は思いました。

(っていう、無理矢理な解釈です。笑)


こんな風に、1つの文章も、
色んな解釈ができて、面白いですね!


この髑髏万博先生のシリーズは
他にも、面白いものが沢山ありますので、
ぜひ、時間があったら、見てみてください!


それでは、また!

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