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イエスノーマクラは男女永遠の問題か

「性的同意アプリ」が配信されるとかされないとかの話題の中で、私は「X(ツイッター)」に以下のようなことをつぶやいた。
ちなみに「強制的に性的同意アプリを使ってむりやり合意させられてレイプされたらどうするのか?」という「性的同意アプリ」に関して現在、中心となっている問題とは関係ありません。
あくまでも「正当に使われた場合」の話ね。

実は左翼的な、リベラル的な、あるいはツイフェミ的な「提言」については、いつも上記のつぶやきのような「根本的な疑問」がつきまとっているのだが、そのことがネット上で大きな話題になることはほとんどない。
「学校で取り決めたあだ名禁止」とかは、低レベルな感じで話題になりますけどね。

逆に保守、右翼的な運動でもいいんだけど、ほとんどの場合、社会運動というのは「それまであいまいだったことを明文化してルールをつくろう」ということ(暴力革命以外は)。
で、そのことは「曖昧で済んでいたことが曖昧で済まなくなる」ということでもある。

「セックスの合意」なんて「曖昧さ」のきわみ。
もちろん、痴漢やレイプがはびこっていいはずがないので、それを防げるのなら、何らかの措置は講じた方がいいとは思いますよ。
こうやって、いちいち断り書きすることも面倒なのだが。

昨日、三分くらいの恋愛ミニドラマをテレビで放送していた。
お互い、好きなのかそうでもないのか、自分たちでもわかってないみたいな微妙な関係の男女がいる。
二人はそれなりの時間経過の中で、自分たちは好き同士だと確信するが、どちらがどう告白したらわからないというか、「告白したら負け」みたいにお互い、意地を張っている。
そんなやりとりの中、いよいよお互いの気持ちがたかまっているときに、男性の方から女性に突然、キスをする。
付き合うことになって、めでたしめでたしという話。

で、ここで「突然のキスが合意できているか」というと、当人たちにしかわからない。証拠も残ってない。
もちろん恋愛ドラマだからそれまでの関係性が積みあがっているのが大前提として描かれているが、キスに合意が得られていないのは間違いない。

「性的行為の合意を明確化するなら、こういうのはどうするの?」

というのは私の素朴な疑問である。

たとえば最近はどうか知らないが、ふた昔前は一人暮らしの男性の家に、女性が一人で、そうだなー、昼間はともかく、夜中に遊びに行ったらそれはもう「女性が男性を恋愛の対象としている(少なくとも「なし」ではない)」と思われて当然という風潮があった。
(当たり前だが、そういう状況でもレイプしてはいけない。「レイプしてはいけない」っていちいち書かなきゃいけないのか?)

もうちょっと細かく言うと「ちょっとDVDを借りに来た」とかではなくてガッツリ二人で、部屋でメシ食ったりとか酒飲んだりとかそういうことですよ。

こういうのは案外、わかりやすいんですよ。
アパートの自室に異性を誘って、来なければ「その気」がない。来たら、期待できる。

ごちゃごちゃ性行為に同意するかとか言うより、明確。

夫婦同士でもそういうことは言いづらいらしく、「新婚さんいらっしゃい」という番組では今はどうか知らないが、かつてはゲームの商品で「イエスノーマクラ」というのがあった。
枕の片面に「イエス」、もう片面に「ノー」と書いてあって、その日にセックスするかどうかを言葉で表現するのが恥ずかしいので、枕で表現するというもの。
男女、どちらにイエスノーマクラを使う主導権があるのか今ひとつわからなかったが、昭和の時代は女性がセックスにどん欲だと「はしたない」と思われていたので、女性に主導権を持たせるという意味があるのだと思う。
(どこかの夫婦で、「妻が玄関に観葉植物を置いておくとその夜はOKの合図」としている人たちもいた。ちなみに小さい子供に悟られないように、という意味もあるらしい。)

ま、それにしたって「イエスノーマクラ」はユーモアグッズの一種で、実際にはもっと男女の機微が働いているのだろう。セックスも日常化するとめんどくさいんだろうな。

んで話を戻すと「あらゆることを明文化すること」が果たしていいのか悪いのか、という議論は、ネットではほとんどなされていない。
「明文化したい勢」は、明文化したいんだからそんなことを問題提議するはずがない。
情けないのは、それに対する対抗的な思想が弱いということだ。
いわゆるネトウヨは昔を懐かしんでいるだけだし、まともな保守や右翼も、90年代くらいまでは「暗黙の了解」を「世間知(世間でいろいろと学ぶことで観に付けていく処世術のようなもの」と呼んで、その重要性を「根拠なく」ブチ上げるだけだった。

現在、「暗黙の了解、と言っているだけでは済まされないのじゃないか」という主張が強まっているのなら、やはり「暗黙の了解」だけでは済まない現場がたくさんあるということだ。
とくに男女間では。

しかし、それでもやはり「?」と思うことはある。

ちなみに「X」につぶやいた私のつぶやきは、例によってほとんど「いいね」が付かなかった。

ま、付くわけないか。
ほとんどの人がそこに問題意識、ないんだから。

おしまい

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