フランスの不登校対策~愚痴
学校のみらいパート2
前回の記事では、韓国の不登校対策にふれました。カリキュラムでの対策でした。
今回は番組の後半に出ていたフランスの不登校対策。
フランスのアトリエスコラーレという施設が紹介されていました。そこは学校に行きづらくなった子どもたちが通うところ。フランスでは、国の教育や福祉のお金で運営され、無料で通える施設も多いそうです。いろいろな活動の様子が放送されていました。そこで私のアンテナに引っかかったのは、活動ではなく職員の人たちです。
その職員はエデュケーターと呼ばれる資格をもつ人なのだそうです。エデュケーターは国家資格で、子どもの発達や心理、障がいなどの専門的な知識が求められるもの。まさに不登校支援にピッタリです。
番組では友達のちょっとしたひと言に激高し部屋を出て行ってしまった子どもがいました。そんなとき、エデュケーターはすぐに追いかけ、話を聞いて子どもの気持ちを聴き、共感した後、どう対応したら良かったのかを話していました。
常に寄り添い、表情や気持ちを確認している様子も伝わります。さすがの対応です。しかも、その施設では子ども15人に対し、エデュケーター5人という手厚さ。国が本気でなんとかしようという気が伝わってきます。
いや・・・日本がどうとは言ってませんからね笑
居場所づくり支援員
私は今、公立学校の中で居場所づくり支援員という仕事をしています。様々な理由で教室に行けなくなった子どもたちを学校の中の教室とは別の部屋で支援するというものです。
学校の中にあるフリースクールのようなコンセプトでこの事業が始まり、校内フリースクールとも言われることがあります。
そこで支援員をして2年が経とうとしています。今の感想・・・
「こんなの単なる教員免許保持者には無理!」
一応私、小学校で11年間担任をしてきました。それなりに子どもと関わってきましたし、不登校や別室登校の子の担任もしたこともあります。スキルや経験がまったくないわけではありません。
それでも圧倒的に自分の未熟さを感じています。というか、スキルや経験でなんとかなると思っていたこと自体がまず未熟でした。
生徒当事者にしか分からない感覚、不安、将来、家族関係。様々な悩みによって教室にいられなくなった過程があります。人に対する不信感があり、ちょっとした一言で傷ついてしまう。そんな繊細な生徒を理解し、対応するのはかなりの難易度です。
だから、心理学の基礎的知識を学び、臨床心理士の本を読み、実際に講演を聴き、スクールカウンセラーの方に相談をして、、、など心理学をかじったと言える程度にはなりました。
また、フリースクールの実態も学びました。実際の活動のときには行けませんが、フリースクールの場所に行き、掲示物、備品の感じ、配置を見学しました。市の適応相談センターも見学に行き、置かれている物、1日の流れ、掲示物などを知りました。
居場所とつく本も読みあさりました。本当に大きな団体から数人の集まりのものまで。当然、不登校と名のつく本も同じくです。
とりあえず考えられる知識を入れたはいいが、実際の子どもと相対する力は別物です。何気ない一言で傷つけてしまうこともあれば、何もしないからこそ不満に思われることも。
今までの経験と新しく身に付けた知識をもってしても、全然うまくいきません。所詮は独学の一夜漬け。理論的整理もできていなければ、私の教育観にまでしみこんですらいません。なまじ「そうだね」なんて相づちを言おうものなら「何が分かるんだ」とか「無責任」とか言われる始末。
うまくいったらいったで、今度は現場の先生との思いのすれ違い。「甘いだけ」「進路はどうするんだ」など。いやー、これぞ四面楚歌。しかも実際に支援するのは私一人。情報共有という名のこちらからの紙のやりとりのみです。
正直、教員免許を持っているだけで、居場所づくり支援員がつとまるとは到底思えません。むしろ教員免許などなくてよいから不登校経験や不登校支援経験がある方の方が良いかと思うくらいです(もちろんそれもそれで不十分な点はあるかとは思いますけど)。
だからこそ、不登校支援はフランスのように、専門的な知識をもち複数人で関わる制度が必要だと思います。ただでさえ教員不足なのだから贅沢かも知れませんが・・・。
以上、居場所づくり支援員の愚痴でした笑
ここから何を学ぶ?
フランスの不登校対策。居場所づくり支援員の愚痴。さあ、こんなnoteでどうしましょう笑。一方的に不満だけぶちまけるなら誰でもできますもんね。私がnoteをやる理由は親御さんへの助けとなる情報発信をすること。ここまで読んでくださったのに何もなしでは面目がたちません。
共通点は専門性です。こどもの心理、発達、教育などが不登校支援には必要だということ。しかし、ほとんどの親御さんは専門的な知識はありませんし、経験も我が子のみです。
不登校になってしまった子どもとずっと関わるのは親御さんです。学校の先生もフリースクールの先生も病院の先生もずっとはいません。親は長い期間関わる上に、複数の面で関わらなければいけません。
発達だけでなく、就職、婚姻、お金、老後、人間関係、ストレス管理・・・。それぞれにそれぞれの専門家に相談し続けることは時間的にも体力的にも精神的にも無理です。
じゃあどうすればよいのか。何もできないじゃないか。そう思われるかもしれません。
私のたどり着いた考えです。
「特別扱いしない」
??ですね。説明します。
良くも悪くも専門家の方は、知識があり理解があります。つまり、子どもに対して特別な関わり方ができます。普通に関わるのではなく、特性、個性に合わせた関わりをします。これはこれで大切。言葉を選ばずに言えば、特別扱いです。
でも、現実。みんながみんな特別な関わり方ができるわけではありませんし、してくれるわけではありません。特別扱いしてくれる人だけではありません。普通の人だっています。
だからこそ、長く複数の面で関わる親は普通の関わりをしてあげればいいと思います。難しければそんなに特別扱いをしないということです。
だって、子どもは特別扱いされたいと思っていますか?あなただったら、腫れ物に触るように関わって欲しいと思いますか?
当然個性に合わせた対応は必要です。得意不得意、好き嫌いはあります。ですが、基本は大切な我が子です。
何気ないことで話し、一緒に笑い、一緒に楽しむ。親がへりくだる必要はありません。もちろん押さえつけてるのは論外です。同じ人間として過ごす。まずはここからだと思います。そのうえで、どうしてもうまくいかない部分だけ専門家にアドバイスをもらいながら、ちょっとだけ特別扱いをする。
特別な対応より、普遍の愛を。
最後までお読みいただきありがとうございました。何かの参考になれば幸いです。素敵な一日をお過ごしください。
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