変わりゆく道を歩いていく
先日、哲学対話メンバーと『「シェルパ」と道の人類学』の本を題材に話した。
シェルパは、民族の名でもあり、エベレストを登るときにガイドをする人のことを指す言葉として使われる。
日本にいると道は、変わらずにあるように感じてしまう。
アスファルトで整備されていて、移動のために最適化されている。
ただ、山はそうはいかない。
特にエベレストなどの雪山は、吹雪くと昨日あった道が閉ざされたりする。
さらには、誰かをガイドするとなると一人であれば選べる道も相手次第では迂回したり別の道を選ばざる得ない。
共に歩く人によって道は変わる
後者の誰をガイドするかによって、見えてくる世界が変わっていくというのは、シェルパだけではないと思った。
例えば同じ山であったとしても、トレイルランニングをしている人と走る時は少しショートカットをすることもある。
ペースも早くなる。
ただ、自然を楽しみたい人と歩くと歩みは遅い。
時間は掛かるけれど、一人では気づけなかった景色がそこにあることに気づく。
共にいる人で歩き方が変わるというのは、果たして登山だけだろうかというと、仕事でも家族や友人との暮らしのなかでもあると思った。
旅をするにしても、その土地を歩くときに、共に歩く人によって立ちあらわれてくる世界が変わるからおもしろい。
同じなようで、変わりゆく道。
今日はどんな道が立ちあらわれてくるのだろうか。
変化を楽しみながら歩んでいきたいものだ。
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