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わたしのバレンタイン

バレンタインの季節がやってくると、ソワソワしていた。

チョコから過去を辿るエッセイだ。

チョコもらうことばかり考えていた

中学生の頃は、その日に何か頑張ってもチョコがもらえるわけではないのに、髪の毛についた寝癖を念入りになおしていた。

靴箱のなか。

引き出しのなか。

こっそりと貰えそうな場所を確認していく。

しかし、いつもと変わらずあるのは、上靴や置いている教科書ぐらいだった。

普段の学校生活のなかで、女子と喋るのが恥ずかしい気持ちでいっぱいで、誰かに対して仲良くしてたわけではなかったのだ。

そんな自分にチョコなんて間違っても贈ろとする人は学校には、いなかった。

ギブアンドテイク。

与えることせずして、もらうことばかりを考えていた自分は甘い。

ちょこちょこ食べる

家に帰ると母親から生チョコと祖母から板チョコをもらう。

ぼくは、昔から美味しいものは、一気には食べない。

16粒入っているのであれば、4粒ずつぐらいのペースで幸せを4等分する。

板チョコは、半分に割って次の日に楽しみを分ける。

些細な幸せだ。

大学生になると、義理チョコを部活や同じ学部の友だちからもらえるようになった。

「もらうと返すのがめんどくさいから、いいよ」

と口では言うけれど、嬉しかったな。チョコ。

お返しは何にしよう。

そんなことを考えるは、嫌ではなかった。

チョコでなくていい

今日は、明日がバレンタインということで、パートナーからモンブランのプレゼント。

ぼくは、チョコよりもモンブランが好きだ。

だから、好きなものを食べることにした。

そもそもなんでチョコだったんだろう。

諸説あるけど、ホワイトデー同様で、お菓子メーカーの策略。

日本独自のもので、どの国でもチョコを女性が男性にプレゼントする日というわけではないらしい。

そんなことで、チョコを通じて自分を振り返ってみた。

食べものをひとつとっても、他人からしたら見事にどうでもいい自分の歴史や思考の癖が浮かびあがってくるからおもしろい。

皆さんは、バレンタインと聴いてどんなことを思い出すだろうか?

以上、わたしのバレンタインというテーマでお送りしました。

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