フェミテロ

そりゃフェミニストは女性の権利を拡張してフェミサイドのない、女性の権利が完全に守られた社会を建設したいのだろう。最初からそこに男の権利などは存在しないのである。

フェミニストにしてみれば男は引け、撤退せよということにしかならない。そうなると、女性の理想の社会のために男など、蟻のようなものである。フェミニズムという重機で蟻の巣を壊したところで重機は蟻の巣を壊したことにも蟻の存在にすら気づかないだろう。

そのため、重機には何かを行ったという自覚も、当然、罪悪感すらないであろう。もちろん、蟻の視点からは別の景色が見えている。自らの巣を壊され、少なからぬ同胞、場合によっては自らの命すら奪われるのである。これをテロリズムといわずしてなんといえばよいのか。

フェミニストたちは「そんなことない。虐げられているのはいつも自分たち女性である。男どもは家父長制で女性を痛めつけている」というかもしれない。けれども、女性はたとえ無職でも家事手伝い、専業主婦という名目で生きていけるのである。

男がいい年をして無職だと引きこもり扱いであろう。もっと年長になればホームレスである。もちろん、女性のホームレスがいないわけではないが、大多数のホームレスは男である。

男と女では安定性が違うわけである。女性はたとえ企業からドロップアウトしても生きられる道は多様であるが、男は転落するのみである。自殺者数でも男は女性の二倍を超えている。昨年は一ヶ月だけ女性の自殺者数が増加して、男に肉薄する事態となり、ニュースで報道されて大騒ぎになった。それでも女性の自殺者数より男の自殺者の方が多かったわけである。

結婚についても、女性の婚活が取り沙汰されることが多いが、男の生涯未婚率(50歳時未婚率)は既に23%である。4人に一人近くの男はもう一生結婚とは無縁である。無論報道の多くは女性の視点からであるので、結婚から取り残された多くの男など最初から存在していないことになっている。

そもそも家父長制などすでに崩壊している。残っているのはATMとしてしか見なされない人権のない男だけであろう。家父長制のなくなった、権威のない男たちにも暴力は残っているのである。多くの男は自らの暴力性を自制しているだろうが、時折、暴力性を自制できない男が新聞やテレビのニュースのネタになるということであろう。

女性は「はあ?男だったら女性の暴力など笑って受け止めれば良いでしょう。それで死んだら情けない男だったというだけのことよ。」ということにされている。

男であれば女性の暴力をなかったこととして受け続けなければならないのである。これがフェミテロである。

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