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【表現研】「カオスチャイルド」 シュタインズゲートを超えた物語

※この記事には作品のネタバレが一部含まれています。
※Z指定のゲームについての記事です。
※ゲームの評価は外伝作品等を除いた「本編のみ」を対象としています。

●シュタインズゲートの思い出

 今まで様々な家庭用オリジナルの恋愛ADVをやってきた。最初の記憶は、先日の記事で挙げた久遠の絆である。次の記憶は、KIDから初代プレイステーションで発売された、メモリーズオフだ。その次は、同じくKIDから発売されたInfinityである。Ever17やマイメリシリーズ……すでに時系列は思い出せないが、その後にも数え切れないほどの記憶がある。

 いくつもの作品を通り過ぎ、一番の思い出となっていたゲームは、2009年に発売された、シュタインズゲートだった。2009年当時、Xbox360特有の緑のパッケージからディスクを取り出し、ゲーム機へ入れて、ノンストップで最後までクリアしたことを、今でも鮮明に覚えている。本編を最初にクリアした時は、あまりの完成度にしばらく放心していた。そんな体験は初めてだった。今までの、どのゲームにも、これほどの衝撃はなかった。夢うつつの中、クリア後の数日を過ごしていた。

 シュタインズゲートは2000年にKIDから発売された、Infinityシリーズの精神的な続編である。少なくとも、自分はそう見做していた。同作は、Infinityシリーズで露呈した、過去の欠点を克服し、独自の要素を加えて、最高の次元でまとめあげた、そんな作品だった。歴史の到達点だった。比類なきその完成度で、恋愛ADVという垣根を打ち壊して、あらゆる場所に浸透していった。

 あの衝撃から10年。いくつか恋愛ADVはプレイしたものの、やはりシュタインズゲートを超える作品はないと思っていた。シュタインズゲートは、Intinityシリーズから続いている、正当な道の、王道の、最終到達点だった。道の終わりに道はない。その先に行くことは叶わない。どうやっても、超えることはできないのだ。それが結論だった。

 仮に、もし超えるような作品が存在し得るとすれば、今までとは異なった道に存在する作品、全く別の次元に存在する作品しかない。そう思っていた。同時に、そんな作品は作れないとも思っていた。今から、いちから、新しい作品を、シュタインズゲートに匹敵する完成度で作る。とても現実的ではない。制作陣も長年のベテランばかりだろう。今更冒険するわけがない。シュタインズゲートは、家庭用ゲームの、恋愛ADVというジャンルにおける、最後の打ち上げ花火だったのだ。

 それに、人の感性は錆びていく。仮にシュタインズゲートに匹敵する作品が出たとして、あれから10年経った自分が、同じような興奮を持ってプレイできるのだろうか。素直にプレイできるのだろうか。それすらわからなかった。シュタインズゲートは、ただのゲームではなく、二度と味わうことのない、青春そのものだったのかもしれない。

 そんな寂寥感に襲われていた2020年。

 なぜかはわからない。

 わからないが、私は未プレイのカオスチャイルドを手に取っていた。

●カオスヘッドからカオスチャイルドへ

 カオスチャイルドはシュタインズゲートを含む科学ADVシリーズの4番目の作品である。私は同シリーズの大ファンだったが、2015年にXboxOneで発売されたこの作品だけはずっと放置していた。とある理由でこのシリーズへの興味を失っていたのだ。シュタインズゲート直後の熱量があったならば、XboxOneを本体ごと、即日購入したに違いない。正直、プレイする前からあまり期待はしていなかった。

 カオスチャイルドは、存在は知っていたものの、中身については全く知らなかった。キャラクターデザインがささきむつみ氏で、カオスがついてるので、科学ADVシリーズの1作目である、カオスヘッドの続編であることは想像していたが、本当にそれだけだった。キャラクターの名前すら知らなかった。しかも私は、カオスヘッドをあまり評価していなかった。カオスヘッドは、上述の歴史の流れからすると、完全に異端児だった。1作で終わりの変化球だった。変化球は少ないからいいのであって、続編をやっては駄目だろうと、始める前は思っていた。勝手に思っていた。よって、作品への期待感は完全に希薄だった。

 しかし実際にプレイして、私は自分の勘違いに気づいた。

 全てが勘違いだった。
 
 カオスヘッドはただの変化球などではない。

 シュタインズゲートを超える作品への兆しだった。

 萌芽だったのだ。

 カオスヘッドが生み出した小さな芽は、自分の知らない間に、長い年月をかけて、地面を食い破り、天高く伸び、聳える、得体の知れないモンスターと化していた。

 カオスヘッドともシュタインズゲートとも違う、暴力的な、全く新しい何かだった。

 今思えば、Infinityからシュタインズゲートまでは10年弱。カオスヘッドからカオスチャイルドまで7年ほど経っている。途中経過の作品はないものの、何かの始まりが、歴史の終着点に至るには、十分な時間だった。

●カオスチャイルド シュタインズゲートを超えた物語

 プレイが始まった瞬間、カオスヘッドの続編であることはわかった。そして序盤は、やはりカオスヘッドを思い出しながらプレイしていた。キャラの配置や妄想トリガーなど、似通っている点は多かった。

 開始から数時間プレイしたところで、なぜ早くプレイしなかったのかと思わされた。5年も放っておいている場合ではなかった。カオスチャイルドは面白かったのだ。シュタインズゲートでハードルが上がりすぎていたものの、十分に楽しめる内容だった。

 その後、日を何回か跨いでプレイしたが、尽きることなく怒涛の展開が続いていた。ある程度の区切りまでプレイし、このシリーズ独特の、軽い放心状態に囚われていた。凄いゲームを出したものだと、そう感じていた。相手は、尽くこちらの予想の上を行っていた。この心地よい裏切られ方に、ノベルゲーの醍醐味がある。カオスチャイルドはまさにそれを満たしてくれるものだった。しかし、その時点での評価は、カオスヘッドより上、シュタインズゲートより圧倒的に下という評価だった。

 だが、この物語は、そんな生やさしいものではなかった。区切りだと思っていた部分は、全く区切りではなかった。そこから進めば進むほど、隠していた牙を、さらに剥き出しにしてきた。もはや予想を裏切られるどころではない。全く予想もしなかった展開が、とてつもない物量で襲いかかってきていた。終始呆気に取られながら、息をするのも忘れるほど、夢中でプレイし続けた。カオスチャイルドは、10年経って磨耗した感性にも、遠慮なく突き刺さってきた。

 名作にそんなことは関係なかったのだ。

  私は半ば無意識の中で、もしかしてこの作品は、決して超えられることがないはずの、アレを超えているのではないかと、そう思い始めていた。

 その後、作品に飲み込まれるように、立ち止まることなく、最後までプレイを終えた。ED曲が不意に流れてきて、心地よい喪失感が漂ってくる。その音を聞きながら、カオスチャイルドは、間違いなくシュタインズゲートを超えたと、そう感じていた。終わった直後の熱に浮かされているだけかと思ったが、冷静になった後も、気持ちは変わらなかった。

 いろんな意見がある。
 シュタインズゲートの方が上という人もいる。
 絵柄が無理という意見もある。
 万人受けする内容ではない。
 自分の中ですら、反対意見が思いつく。
 方向性が違う。そんな言葉で間をとることも可能だろう。
 
 しかし、それでも断言する。

 断言したい。

 カオスチャイルドはシュタインズゲートを超えた物語だ。

●シュタインズゲートを超えた理由

 超えたと思う理由はいくつかあるが、主な理由は次の三つである。

 ①メインシナリオの質
 ②サブシナリオの質
 ③ヒロインの魅力

 ①メインシナリオの質
 何を持って超えたとするのかは難しいところだが、この手のゲームの評価は、予想が裏切られることに、大きな比重があると考えている、よって、ここでの評価は、ゲーム側の「予想の裏切り方」に焦点を当てた。
 
 カオスチャイルドは、予想の裏切り方が、その回数が、過去の作品と桁違いだった。詳しく数えたわけではないので、仮の話になるが、仮にシュタインズゲートが3回裏切ってくるとすれば、カオスチャイルドは10回裏切ってくる。そのくらいの差を感じた。おまけに、1回1回の予想の裏切りが、それ単体で、ひとつの物語に出来るレベルのクオリティを持っていた。シュタインズゲートには、そこまでの物量が感じられなかったため、この点でカオスチャイルドが上回っていた。質というよりは量の話になっているが、これだけの量があれば、十分質に転化されていると言える。
 
 予想の裏切り方に限らず、全体的なゲームのボリューム自体が半端ではなかった。文字数まではわからないが、文章量はシュタインズゲートよりかなり多かったと思う。BGMはいつも通りの素晴らしいクオリティで、グラフィックの枚数も十分すぎるほどだった。

 ②サブシナリオの質
 シュタインズゲートはメインルート以外のシナリオが短かった。キャラクターの個別ルートはおまけで、ちょっとした寄り道くらいのボリュームしかなかったはずである。その分、メインに焦点が当たっていたとも言えるが、個別のシナリオは、それほど掘り下げられていなかったことは確かだ。
 
 一方、カオスチャイルドは、メインシナリオは元より、全てのキャラのシナリオが素晴らしかった。キャラ別のルートでは、それなりにボリュームのある、全く異なったシナリオが用意されている。全てにおいて手抜きのない、細部まで気合の入った作品だと感じさせられた。

 ③ヒロインの魅力
 どのキャラクターも、設定が一筋縄ではなく、複雑な多重構造になっている。それも、単に取ってつけただけの設定ではなく、最終的に、もっとキャラを好きになれるような仕掛けが、あらゆるところに施されていた。キャラクターの深さが、今までの作品と、圧倒的に異なっていた。どのキャラも、ただでは終わらないというように、様々な面を見せ、複雑な物語を紡ぎ出していた。

 シュタインズゲートのヒロインも、当然魅力的だったが(特に紅莉栖)、カオスチャイルドはヒロインサイドに感情移入できるほど、キャラクターが作り込まれていた。おまけに、普通の作品であれば、メインヒロインだけに注がれるような労力が、かなりのキャラクターに注がれていた。この点で、やはりカオスチャイルドに軍配が上がる。

 
 以上3点理由を挙げてみた。
 シュタインズゲートとカオスチャイルド、個々の質的な部分では同等に近いが、量的な部分で圧倒的に違っていた。カオスチャイルドは作り込みが尋常ではなかったのだ。

 シュタインズゲートは派生作品が数多く出ているので、それらを考慮すれば話は変わるのかもしれないが、この比較は上記の注意の通り、あくまで本編のみの比較なので、こういう結論になった。

●終わりに

 シュタインズゲートという、王道を突き進んだ、歴史の終着点を、そのまま超えるのは不可能だった。しかし、カオスチャイルドは、カオスヘッドという、思いがけない過去から現れ、その終着点とは別の道を走っていった。王道から離れ、全く異なる視点で、新たな興奮をもたらした。シナリオの重厚さにおいて、予想の裏切り方において、キャラクターの魅力において、超えられるはずがないと思っていた、あのシュタインズゲートを、鮮やかに超えていった。
 
 カオスチャイルドは、絵柄を考えても、内容を考えても、万人受けする内容ではない。それはわかっている。それでも、カオスチャイルドはシュタインズゲートを超えた作品だと言いたい。それほど圧倒的な完成度だった。infinityシリーズも、カオスヘッドも、過去の全てを振り切って、遥か彼方まで、突き抜けていった。
 
 人生、生きていれば、何が起こるかわからない。起こらないはずのことを起こした作品。超えられないはずのものを超えた作品。それがカオスチャイルドだった。制作陣は自分の想像より遙かに上を行っていた。超えられるはずがないと、勝手に思い込んでいた自分を恥じたい。

 しかし、そう言いながらも、カオスチャイルドを終えた今、私は懲りずにこう考えている。

 この先、

 カオスチャイルドを超える作品は現れるのか、

 と。

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