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最後のうた


 穂村弘の歌集が一冊ありさえすれば、高校三年間をやり過ごすことができる。
 狭い部屋に閉じこもり、本を読むばかりの毎日を送っていると、そんな言葉が思い付いた。
 穂村弘の自選歌集『ラインマーカーズ』に収められた短歌を眺め、自分の青春について反芻する。それは本当は存在していないはずなのに、ひとつひとつの短歌を小さな声でくちずさむたび、鮮やかな思い出として蘇るのだった。若者が都市のなかで生活し、恋をし、見聞きしたこと、触ったものの手触りを確かめ、それぞれにふさわしい言葉を探しては記憶し歌にしていく。この歌集を読んでいるあいだだけではあるけれども、自分にも確かに誇りにすることができる輝きの時代はあったのだとかたく信じる。
 高校時代の私は穂村弘の歌集と出会えなかった。だから高校をきちんと卒業することができなかった。彼の歌集をはじめて読んだのは、ここに引きこもることになって数年経ってからだ。
 それまでも私は本を読むだけの日々を過ごしていた。いろいろな本を注文し、届いたなら一文字も見落とさないよう全ての神経を使って本を読んでいった。本だけが外の世界と繋がっている線だった。その細い線が切れてしまうことが怖ろしかったから、書籍のなかの言葉から次の世界へと連なるものを見つけ出し、次に読む本を探すための手がかりとした。
 注文した本を幾冊か受け取った時、そのなかに穂村弘の歌集がまぎれていて、私には注文した覚えがなく何かの手違いかもしれないと思ったが、青い表紙が気に入ったからそのまま読み始めた。すぐに彼の短歌のとりこになった。私の理想と現実の人生のすべてが三十一文字で表現されていた。それから毎朝その歌集を見詰め、一首いっしゅの短歌を覚えてしまうくらい繰り返し声に出して小さく呟いた。私はより読書にのめりこみ、出会いの奇蹟がふたたび起きることを期待して本を読んでいく。
 朝決まった時間に起きて、夜も決められた時間に寝る規則正しい生活を送り、その単調な一日いちにちであったとしても、読書は私を予想もつかない空間に連れていってくれる。穂村弘の短歌はその一番のものであり、私の核になっている。
 結局、大学に行くこともできず、それからもうずっと社会から隔絶した毎日を繰り返していると、何も積み上げられなかった自分の人生は、詩や物語のなかにこそ、実際の体験があったのだと思ってしまう。引きこもりみたいな生活をしていても、本を読んでいるかぎり、私の人生は豊饒さを増している。
 けれど、読書するだけの日々が嫌になることも多い。自分がこの狭い部屋にいるあいだ、かつてのクラスメイトたちは、本物の恋をし、仕事をして、なかには子をなしている者もあるだろう。私も人並みのしあわせを得たかったと就寝前、蒲団のなかで目を閉じると、今さらながらの後悔をしてしまう。自分の意志の結果、今の状況があるはずなのに、やっぱり納得できない。詩や物語で描かれるあの輝きを、文字を通してではなく、自分の目と耳と肌で知りたかったとため息が出る。
 そして新しい朝がやってくるたび、私は恐怖する。本を読むばかりの私の人生も今日、終わってしまうのではないか、そんな感覚が私を襲う。だけども、その感覚のおかげで、これから始まる一日もしっかりと本を読んで己の魂を浄化しようと決心することができる。
 私の人生は塹壕戦だ。それは、穂村弘の歌集で表現された毎日の対極にあるもので、少し油断して塹壕から頭が地上に出てしまうと敵方から銃弾が飛んできて私は死んでしまう。いつ死ぬか分からない生活だから、詩の言葉をいっそう切実に求めてしまうし、私には詩を理解する権利がある。
 歌集を閉じて、部屋を見渡す。三畳のたたみ部屋に小さなテーブルが置かれ、隅には薄くしけた蒲団が畳んである。壁はクリーム色に塗られていて冷たい。天井の照明は半年ほど前にLEDに改修され、無神経な白い光を放っている。窓はほとんど開かずくもっていて外の様子は分からない。窓の手前には便器が設置されている。
 ここは東京拘置所の死刑囚房だ。
 高校の卒業式の日、私はサバイバルナイフを鞄に忍ばせて登校した。式が終わり、皆が教室に戻って担任の先生が来るのを待っているあいだ、鞄のなかのナイフの柄を握り、その堅い感触で決意を固める。担任が卒業証書を持って教室に現れる。担任は出席番号順にひとりひとり生徒を教卓の前に呼び出し、卒業証書を手渡す。私をいじめていたKが名前を呼ばれ、担任の前に立ったとき、私はナイフをつかみ、飛び出した。
 私はKと担任のふたりを殺めた。逮捕されると、家庭裁判所に送致され、さらに検察に送られて起訴となる。裁判所で死刑判決が確定した。以後、もう十年ちかく拘置所でその日が来るのを怯えて暮らしている。
 その日、朝食が終わり、独房に収容された皆が神経を尖らせていると、やはり廊下を歩く刑務官の足音がする。かつかつかつと秩序を保った足音は私の房の前で止まった。私はこれからの死刑執行を伝えられる。
 Kは周りの者たちに、「殺すぞ」とよく言っていた。それは、友人に対しては親愛の表現であったし、そうでない者に対しては脅しだった。だがKは人を殺さなかった。私はKを殺すのではなく、Kに「殺すぞ」と言うべきだったのだと今になって気づく。
 刑場に連行され、遺書を作るよう言われる。私は一首の短歌を手許の便箋に震える文字で書いた。
 ぶっ殺す!便所でさけぶ月曜日そんな己はきよらかである 

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