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第1子生誕前後の我が家の年末振り返り。家族内、組織内の「健全な相互交流」について考えてみる

あけましておめでとうございます。2024年になりました。

2023年をざっくり振り返ると、仕事に関しては医師5-6年目で田舎の150床程度の病院で総合診療医として勤務させてもらい、その次に診療所勤務で慢性期の予約外来と継続的な在宅グループ診療に携わらせてもらいました。

週1回の救急外来で後輩指導もしつつ、自分も指導する側に年次が上がってきていることを実感しました。

私生活では、妻が妊娠し年末に第1子が生まれました。

その第1子が12/29から嘔吐しだして肥厚性幽門狭窄症の診断で、大晦日に手術となりました。今年の年越しは付き添いのため病院で過ごすこととなりました。

妻がとても不安そうで、自分は子への不安よりも妻の体調や精神面が心配で気が気ではありませんでした。

手術は無事終了し、これから経腸栄養が始まるようです。

まだ不安な入院生活は続きますが、ひとまずベッドで眠っているわが子は穏やかそうで苦痛なく過ごせていそうで何よりです。

我が家の家族関係の変化

2024年は大変な幕開けになりました。どうにも我が家は年末の運があまりよくないようですが、それでも夫婦で乗り越えてこれています。

とにもかくにも、わが子が元気に退院し、すくすくと育つことが目下の希望です。自分でコントロールできる部分はほとんどないため、夫婦二人で祈りながら日々を過ごしていくしかないです。

夫婦から両親へ

子供が生まれたことで我が家は「カップルの時期」から「小さい子供のいる家族の時期」にライフサイクルが回ったことになります。

小さい子供のいる家族の時期には①子育ての義務を果たしつつ夫婦システムの調整②家事への参加③祖父母を含めた拡大家族との関係を再構築するなどの発達課題があります。

家族システム理論でみると夫婦サブシステムから両親サブシステムに比重が移行する段階になります。両親として共同しつつ、子供が社会に出ていけるように育み、自立を促す役割を担わなければいけません。


また構造的家族療法の理論では、家族をシス テムとして捉え、家族メンバーは「相互交流」しあうことによって、継続することで「パターン」が生まれ、こ の相互交流パターンが「構造」化して家族のシステムが維持されると考えます。

この①相互交流➡②パターン化➡③構造化の理論は家族以外の組織にも言えるところです。

例えば
「○○をしたのでご報告します」と部下が上司に言ったときに「なんでそんなことしたの?」とか「いちいちそれくらいのことで報告しないでいいよ、まったく」といった反応を毎回しているとどうでしょう。
組織全体で上司には結果だけ、怒られないような部分だけ伝えるというマニュアルが出来上がり、続く後輩たちもそうするように教えられます。
そういった不健全な相互交流の仕方がパターン化して、組織のコミュニケーションが不健全な相互交流パターンとして構造化し、組織の文化や風土となってしまいます。

この組織での文化形成については、書籍「心理的安全性のつくりかた 心理的柔軟性が困難を乗り越えるチームに変える」に詳しく書かれています。


話を戻して、同様の構造化が家族内でも起こります。
健全な家族構造を作るためには、①健全な相互交流➡健全なパターンを形成➡③健全な相互交流パターンを構造化しなくてはいけません。

つまり、重要なのは最初の「健全な相互交流」です。

ライフサイクルが進んだ時点の最初の最初、ここで健全な夫婦関係を保ちつつ、家族の共同経営者であり、かつ両親として共同で育児していくのだという健全な両親役割をもった夫婦サブシステムを構造化するために、最初の相互交流に全集中するのです。


と堅苦しく書いてきましたが、要は妻に「あの人は頼りにしていないから」といわれる父親にならないようにということです。
そういう下心から、ライフサイクルが回る前段階から私も準備を勧めました。

夏休みとして休暇を取っていなかったこともあり、里帰り出産で遠方のため、出産予定日の週をまるまる夏休み替わりの休み(有給)として立ち合い分娩できるように整えていました。そして、予定日を超過しましたがなんとか有給期間内に自然分娩での出産がかないました。

その後は産後パパ育休の制度を使って年明けまでは育休のつもりでしたが、前述のとおり肥厚性幽門狭窄症を発症し入院/手術となりました。年内の自分がまだいる時期だったのは不幸中の幸いでした。


母子関係と父子関係

わが子の体調不良、入院手術ということに母親である妻は、当然とても悲しみ泣いていました。
一方父親の自分は多少の不安はあるものの、受け入れている?ような心境でした。

この違いは一体どこからくるのか?と疑問に思いました。
どんな肝っ玉母さんでもやっぱりそうなるのか?
母子関係は特別だからやはり父親には感じられない部分があるのか?

自分は共感能力が薄く、感情の起伏が大きくないことは自覚しています。そのこともあって、今回のことを「薄情な父親」だなぁと自分のことながら思ったわけです。

上記のような僕自身の性格の問題もあるにはあるでしょうが、それだけだと救いようがない。父親と母親という差異がもたらす根本的な問題があるなら、自分を少しは許せそう。

そんな思いで考えてみるとですね。
①母親は子供のことについて父親よりも自分事としての度合いが大きい。
②産褥期は精神的不安定性が大きい。
③専門職と非専門職での知識量の差による不確実性への受容力の差がある。

という3点がまず浮かんできました。

①母親は自分事の度合いが大きい
そもそも10か月間すべての生活を共にしていた母親と、胎動を触れることはできていたものの実質出生後2週間程度でまだ「血のつながった他人」として父性育成中の父親とでは、「自分事」の度合いが違います。
母親は自分の分身として、不安を感じる気持ちは大きくなるでしょう。

②産褥期は精神的不安定性が大きい。
いわゆるマタニティブルーです。大きなライフイベント、内分泌的な変化が原因とされています。

出産後の女性の30-50%が経験します。出産直後は気持ちも高ぶっていますが、産後数日から2週間程度のうちにちょっとした精神症状が出現します。多くは、ふいに涙が止まらなくなったり、いらいらしたり、おちこんだりする症状がでます。人によっては、情緒が不安定になったり、眠れなくなったり、集中力がなくなったり、焦るような気分になったりします。(日本産婦人科学会Webサイトより)

③専門職と非専門職での知識量の差による不確実性への受容力の差がある。
Varieties of uncertainty in health care: a conceptual taxonomyで提唱されたmedical uncertaintyの3次元での分類でいうと患者家族に、scientificの点で、あいまいさのある不確実性が存在しているという状況でです。

曲がりなりにも、医師6年目なので肥厚性幽門狭窄症という病気は知っています。調べれば概ねの手術後のストーリーも想定できます。妻との知識差は明らかにあり、上記の不確実性の程度に差があるとは思います。

それでも手術の合併症や術後再発のリスク、術後の発育に関わるリスクなどの医療の不確実性による不安は僕にもあります。知識量の差による不確実性への受け入れの程度問題というには、少し不安の大きさに差がありすぎるように思います。


上記の①②③という因子による差というには、まだしっくりこないんですね。自分事の度合いが低いとは言いつつも、育児をしてきて関係を持ってきているし、未来に対して不確実性は抱えているわけだし、けどそれにしては精神的に落ち着いている自分。なぜ?

子の不幸に対する夫婦の罪悪感の差

一番の差は、罪悪感の差だろうと思うに至りました。

僕としては嘔吐の様子を見た時点で肥厚性幽門狭窄症で手術が必要になりうる想定をして、そこに行きつくまでの最短ルートを進むために様子を見ることなく小児科受診し、翌日には診断/入院となり翌々日には手術となりました。概ね想定内だったこともあり、なってしまったものは仕方がないけど可能な最善手を選び続けられて、後は専門家の先生にお任せして本人の運命を信じて祈るしかないというところに来ていました。
つまり僕の中では「人事を尽くした」という意識があり、あとは「天命を待つ」しかないという一種の満足感があったわけです

一方、母親はどうか。妊娠から分娩まで全く問題なく、出生後の育児も問題なかったとしても、出生後に起こった問題全てを「自分のせいだ」と感じてしまうでしょう。どうしようもなかった事由でもです。


仕事をしていて、患者さんの容態が急変した場合などでそれまで自分が見落としていたことや、インシデントがあった場合などは気が気ではなく落ち着いてはいられないという経験は私にもあります。

母親は子供の体調不良に関して、その原因が実際にはどうであり、自身の問題として一身に引き受けてしまうのではないでしょうか。

働き方改革を進める「健全な相互交流」

我が家には、ライフサイクル上の予期される発達課題に加えて、突発的なイベントが家族に多大なストレスとしてのしかかった状況でした。慎重に対応しないと家族関係が健全に機能せず、未来に大きな影を落とす可能性があります。

そうでなくても、喫緊の課題としてマタニティブルー真っ只中の妻にとって産後うつ病の発症リスクを高める要因なのは間違いないです。

正月明けからはいったん仕事に復帰して、2月から実家から母子が戻ってくるタイミングで育休を取る予定でしたが、特に妻の精神面に不安があり診療所の医師グループのラインで状況を報告しました。

皆さん、「仕事はどうにかなるから、家族を優先して育休を延長してください」「医師の役割は誰かが担えます。夫と父親の役割を全うしてください」と暖かいお言葉をいただき、診療所長から「1月8日までは育休延長として、母子の状態でそれ以降のことはまた相談しましょう」とすぐに調整してくれました。

とても嬉しく、温かい気持ちになりました。
父親の家族内の役割の重要性を、皆が認識していることと、欠員が出た場合でもなんとか調整してくれるサポート体制があってのことだと思います。

後輩や他の同僚医師が同じ様に困った際に、率先してサポートできるようように僕自身も頑張りたいなと思いました。

この対応を組織の当たり前、つまり風土や文化にしていくには制度面ももちろんですが、前述した組織文化の構造化が大事なのだと思います。

健全な相互交流を大事にして、パターンとして継続し、その相互交流パターンが構造化されれば、働きやすい組織文化として形作られていくのだと思います。

今回の健全な相互交流は、①僕自身が現状と不安を打ち明けても、職場の先生方は暖かく聞いてくれると信じて連絡できたこと。②それに対して全員が暖かい言葉をかけてくれて、トップが迅速に対応してくれたこと。です。

現在の職場が、心理的安全性が高い状態にあることを再認識できました。

心理的安全性については下記の記事を参照ください。


まとめ

乳幼児の疾病出現時には、夫婦間で感情の差が出るのは仕方ない部分があるので、薄情な父親と自分を責めるよりも、「感じる必要のない罪悪感」を母親は抱えてしまうことが多いので、夫/父親としてサポートする必要がある。

ライフサイクルの変化時に健全な家族関係を築くために、また組織の働き方改革を進めて健全で心理的安全な文化を作り上げるためにも、①相互交流➡②パターン➡③構造化という流れを意識して「健全な相互交流」から始めることが重要である。


追記
このnoteを書いてる1月1日。妻と付き添いを交代して病院から妻の実家に帰ってきた矢先に緊急地震速報が流れました。被害状況などまだ報道ではわからないけれど、育休中の身ながら医療者として今できることが何なのか考えないといけないです。

避難している方たちが、まずは今日を乗り越えられることを祈っています。

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