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人生初海外の留学中に先生の前で号泣した話

初めての海外は語学留学だった

10年前の今頃、私はローマにいた。
人生初の海外は2ヶ月間の語学留学となった。

前の年の夏の終わりから、なんとなくイタリア語の勉強を始めた。

いずれ、イタリアに行った時にしゃべれるくらいになれたらいいな程度の軽いノリだったのだが、レッスンをお願いしていた日本人の先生から言われた言葉で留学を考え始めた。

「イタリア語はイタリアでしか使えないし、早い内に自分に合う国か確かめておくといいよ。いざ行ってみて思ってたのと違ったら、英語にシフトチェンジした方が時間が無駄にならないでしょ?」

確かに。

しばらくレッスンを受けながら、さっさとイタリアに行って確かめてみよう!と決めた私は、とんとん拍子で留学の手続きを済ませ、職場に退職の希望を伝えた。


リア充な留学生活に立ちはだかった壁

6月、私はイタリアを存分に楽しんでいた。

日本と異なる環境や、想定外の出来事に振り回されていたけれど、それがいちいち新鮮で楽しくてしょうがなかった。

語学学校の友達とも楽しくやっていたし、初めて自分の人生を自分で決めている感覚を手に入れて毎日ハッピーだった。

7月に入って、私のいた初心者クラスはクラスメイトの大半が帰国したのと入れ替わりで、バカンスが始まった周辺国の社会人が加わり急激に人数が増えた。

しばらくは大きな教室で一緒にレッスンをしていたが、数日経つと、上達が早い組とそうでない組で教室が分けられることになった

もちろん私はそうでない組だが、少しづつ成長を感じているイタリア語の勉強には前向きだったし、やる気に満ち溢れた学校生活を送っていた。

新しいクラスになってから、私はイドゥリスというフランス出身の黒人男性とペアになることが増えた。

私がいた学校はコミュニケーション重視のレッスンだったので、授業のはじめには必ず前日何をして過ごしたかをイタリア語で話し合う時間があった。

私はこの時間が結構好きだったのだが、
観光の情報交換をしたり遊びのお誘いを受けたりとみんなが楽しく喋っている中、イドゥリスは一言も喋ってくれない。

話しかけても「ああ」とか「うん」しか反応してくれないので会話が続かないのだ。


どうしよう…。


彼はその時間が終わるまで、ノートに何かを書いているだけだった。

最初は人見知りなのかもしれないと思っていたが、その後もペアになる度同じ状態になってしまう。
別の人と話そうと彼を避けても、なぜか流れでペアになってしまうことも多くて、少しづつストレスが溜まり始めていた。

授業中はイタリア語以外禁止なのだが、どうやら彼は別の人とは英語で話しているようだ。

私のこと好きじゃないから話す努力をしたくないのかな。

私、イタリア語が話したくてわざわざイタリアまで来たのに…。

ローマでの時間も半分終わった。
ここにきて学校が楽しくないなんて最悪だ。

同じ状態が数日続いて、徐々に焦りと不満が募り授業中に発言をしなくなった私に、前のクラスから担任だった先生が気がついて授業の後に声をかけてくれた。

「元気がないけど大丈夫?何かあったら言ってね。」

母親と同年代の先生に心配されて、モヤモヤしていた気持ちが一気に爆発して涙が流れた。

最近、イドゥリスとばっかりペアになる。
彼は英語を話してるし、私とは会話しない!
せっかくイタリアに来たのに!
私は勉強頑張りたいのに全然授業が楽しくない!

26歳のいい大人が赤ちゃんレベルのイタリア語で号泣しながら訴えると、先生は申し訳なさそうに謝ってくれた。

「あなたの気持ちに気づいてあげられなくてごめんね。彼が授業に積極的じゃないのはわかってたけど、クラスの人数が多すぎて目が行き届いていなかった。明日からは配慮するね。」

実際、次の日からランダムなペアができるように工夫してくれて、今まで話す機会が無かったクラスメイトとも当たるようになった。

先生が悪いわけではないのだが、自分の気持ちを伝えることはとても大切なんだと身をもって知った経験だった。


強引な距離の縮め方

それから何日かして、クラスメイトからホームパーティに誘われた。

詳細が送られてくると、主催は同じアパートに住んでいるイドゥリスらしい。

最初、え…と思ったが、仲良しのクラスメイトの帰国が近かったので遊びに行くことにした。

パーティーに着くとぼちぼち人が集まっていて、各々飲み物を片手に会話を楽しんでいる。

屋上に出されたテーブルの椅子に座ってビールを飲んでいると、突然後ろから頭を鷲掴みにされて、おでこに強烈なキスをされた。

背中を反らして誰かと見てみると、キスの相手はまさかのイドゥリスだった。

「ヘーイ!今日はきてくれてありがとなー!イエーイ!」

と言って、彼は別の場所に行ってしまった。
突然の奇行に戸惑う私を見て、周りの友達は笑っている。

どういう距離の縮め方?
しらふでそのテンションでいられるなら学校でも元気に過ごしてくれよ。

しかし、彼が私のことを嫌いなわけではなさそうだとわかって少し安心した。

嫌なやつじゃないんだな。と思うと、私の彼に対する苦手意識も自然となくなっていった。
一種のショック療法だったかもしれない。

何があったのか知らないけれど、彼が授業中に冗談を言ってみんなを笑わせたり、積極的に参加するようになったのはその後くらいだった気がする。

帰国した後も、音楽をやっている彼からミュージックビデオやメッセージが送られてきたり、他のクラスメイトとも交流はあった。

しかしそれぞれの生活に戻りしばらく経つと、その熱は落ち着いていく。
徐々にFacebookを使う人も減って、私もその内の一人になった。

10年経った今、彼が私のことを覚えているかはわからない。

久しぶりにほったらかしのFacebookを見てみると、彼は今もアーティスト活動を続けて楽しく生きているようだ。

もしも、いつかどこかで再会することがあったら、
私、昔あなたのせいで大泣きしたことがあるのよ。と教えて一緒に大笑いしたい。

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