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Official髭男dism「アポトーシス」に感じる生と死

2022年12月、Official髭男dism・SHOCKING NUTS TOURの仙台公演へ足を運びました。 

彼らが観客に向けて全力で音楽を届けてくれる姿はもちろん、年齢も生い立ちも住む場所も違う、普段まったくバラバラの世界を生きている人達(私も含め)が同じ空間で音楽を楽しんでいる姿は、何度体験しても感動的なものがあります。

大好きな音楽を生で聴けることの喜びを噛み締める一方、当たり前だと思っていた幸せがいきなり奪われた3年前を思い出している自分もいました。

2020年2月以降、国内外で爆発的に流行しはじめ、現在もなお広がり続けている新型コロナウイルス。エンタメだけではなく仕事や学校、家族との関わりなど、私達の身の回りに溢れていた「当たり前」はあまりにも簡単に奪われ、形を変えることを余儀なくされました。

しかし、これは何も今に始まった話ではないのだと、私はその時ようやく気付きました。新型コロナウイルスが流行し始めるずっと前から、「いつまでも当たり前に続いていくもの」など、この世には何一つ存在しないのだと。

Official髭男dismの「アポトーシス」では、そんな無常観や生命の儚さ、生きていくことへの問いかけが歌われています。

さよならはいつしか 確実に近付く
落ち葉も空と向き合う蝉も 私達と同じ世界を同じ様に生きたの

Official髭男dism/アポトーシス

1番Bメロの歌詞です。

夏の終わり、7日間の生命を全うした蝉が空を向いたまま動かなくなった姿。秋になり、歩道を埋め尽くす枯れ葉を踏んだ時のカサコソという音。

私達の世界には、目を凝らしてみれば本当にたくさんの「死」が存在しています。

それらは決して、まだまだ先のことだと断言できるわけじゃない。身体のどこにも悪いところがないからといって、明日の朝突然、何らかの避けられない事態によって命を落としてしまう可能性だってある。

「いつ死ぬかも分からないんだから常に怯えて生きろ」と言いたいわけではありません。私はそんなことまず無理ですし、過度な不安を抱え続けていたらそれこそストレスで身体を壊してしまいます。

しかし、日常のさまざまなシーンで「アポトーシス」を聴くたび、何気なく過ごしていた日々をもっと大切にしなければいけないなぁと思わされます。

演奏時間6分超えという壮大なボリュームに、ヒゲダンの死生観が詰め込まれた素晴らしい曲です。

YouTubeや各サブスクで配信されているので、まだ聴いたことのない方はぜひ。






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