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急にシンハラ語が喋れなくなる

職場での仕事も始まって、家ではホームステイ。そんなシンハラ語まみれな生活が早くも2ヶ月を過ぎた。

日本でシンハラ語を勉強していた時よりも、首都でホテルステイしてた時よりも、今のほうが圧倒的にシンハラ語を話すようになった感覚がある。しかし、最近その感覚がなくなり、自分が急にシンハラ語を喋れなくなったように思えて仕方がない。
例えば、今まで問題なく出てきた文章が言おうとした瞬間に詰まって頭が真っ白になること。今までスムーズに聞けていたはずの人の話が何度か聞かないと分からないようになったこと。

何でかなぁ…?と思いつつ、そのことをスリランカに滞在している友人に話す。すると彼女は「今までは出来た!って事が印象に残ってたけど、(スリランカで)出来ることが増えたからこそ、出来ないことがより目に付くようになったんじゃない?」と言った。
確かに、それはきっとあるかもしれない。何事も最初は出来る出来るばっかりだけど、どこかの地点に到達すると出来ないことばっかり見ててくるように、成長してるからこそ見えてくるものなのかもしれない。(最早そう思わないとやってられない)

そう言えば、こういう話って千葉雅也の「勉強の哲学」で出てきそうだなぁ、なんて思いながら、日本に残した本に思いを馳せる。(ほとんどの本は重たくて持ってこなかった)

あと、「暇と退屈の倫理学」も結局持ってたのに日本で読めずじまいだったなぁ(こうして、文庫とKindle本の二刀流が誕生するのだろう)

最近はホストファミリーに対しても何回も聞き返してしまうことが多い。しかし、そもそも音として聞き取れなくてスルーしてた説もある。だからこそ、現状として雑談が全く何が何だか分からない状態から、少しづつ聞き取れる単語が増えてきたのかもしれない。

今までは夜の時間にひっそりと自室でシンハラ語の勉強をしていた。しかし、一緒に住んでいる人がシンハラ語を話すのだから、最近はリビングでシンハラ語の単語帳をまとめるようにしている。そうすると、大体アンマかアッパッチが気にかけて教えてくれる。こうやってホームステイの良いところをフル活用して、語彙数を多くしていきたい。

外国に住むからのこそのモヤモヤ

職場で午後になると学校から子どもを連れて来る同僚がいる。今日、その子どもが同僚の話を少し聞き間違えた。すると、同僚は「日本人みたいな間違いをするじゃん」と子どもに対して言った。
その場にいた私は一瞬「しばいたろか」と思ってしまったが、自分よりも年上で頭も良くて英語も出来る人を物理的にはしばけない。しかし、モヤモヤは募るばかりで「母国にいて、母国語を話して、自分は安全な場所にいるから、そんな言葉が出てくるんよ」「こういうのって想像力の欠如からくるんだよ」「全く不寛容だなぁ」とメラメラが止まらなくなった。
さらに、職場の廊下を歩いていると、とある男子生徒数名から、からかうような言葉をかけられる。本当に何なんだろう。もうホンマにしばくぞ。

今日は何回自分の頭の中で「しばく」という言葉が出てきたか分からない。それぐらいのモヤモヤを抱えた日だった。こういう時は本当に日本に帰りたくなるし、真面目に関空行きの航空チケットを検索してしまう。ああ、帰りたいなぁ日本に。(一時帰国は絶対する)
それでもすぐには帰れないことは分かっている。だから今日はアイスを食べてリビングでゴロゴロする日にしようと思う。

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