高校時代⑤ 追試代わりの平常点

保健室登校から通常登校を始めたが、とてつもなく苦しい日々だった。
まだ出席日数は大丈夫だったが、課題をこなせず、単位が取れるか不安になっていた。

この高校の期末試験は一発勝負で、追試はない。
日頃、きちんと予習をし、課題をこなしていたら平常点が与えられるので、単位を落とすことはめったにないと説明された。つまり、予習や課題をしなければ単位を落とすということである。
私が辛かったのは課題ではなく予習であった。
課題は、少なくとも習ったことをやる。(数学は「習う」ことがほとんどなかったが……)
毎日の授業の予習は、締切が毎日なのだからシビアで、わからないものはやりようがなく、毎日眠い中、大量にあった。
私は「これ以上お金をかけてはいけない」という変なこだわりで、教科書ガイドも買わず、自力でやろうとし、頭をパンクさせていた。また、テキトーに書いとけばいいや、ができなかった。
自分の発達の傾向も関係あるだろうし、貧しいということで追い詰められていたこともあっただろう。とにかく精神状態は健康ではなかった。

自分が我慢すればいいという変なこだわりで自滅していくことは、人生の岐路で多数あった。

さて、私以外の生徒が全員、この生活をこなせていたわけではない。
保護者から、子供たちの健康を心配する声は高校に届いていた。母も、私のためにPTAの役員になってくれ、学校が少しでも過ごしやすくなるように努力してくれていた。真面目な子供たちが怯えている、誰も悪いことをしていないのに、怯えさせる必要があるのか、と。
他の保護者からも同じような声は上がったが、学校側は「慣れていく」という回答だったそうだ。

高校はこんなにスパルタで、ついていけない者は振り落とす空間だったとは、知らなかった。もともとそういう生活が売りの私立高校だったらわかる。公立高校だ。経済的に苦しい生徒は私の他にもいた。
高校の予習くらいでなんでこんなに追い詰められるのか?と不思議に思う人もいるかも知れない。だが、怖いのだ。予習をやってこないと、平常点が減らされるだけでなく、クラスで吊るし上げられる。予習をしてないと起立させられ、そのまま、しばらく立ちっぱなし、という授業もあった。「期末試験で点数取ればいいや」ともいかない、授業運営だったのだ。

得意教科はあった。現代文は得意だったし、現代社会も、常に上位だった。どちらも現代がつくのは、要は、読書の経験が生きる教科だったということだろう。
この、得意科目がある、という点は、逆にクラスで雰囲気を悪くした。
模試を受けたとき、国語はクラス上位、数学は平均より少し上、英語は最下位レベル、という成績だった。結果は張り出される。別段いいわけではないが、それでも「学校に来てないのに……」と言われた。

クラスの皆がピリピリと毎日を送っている。そんな中、保健室登校をしたり、学校に来たり来なかったりする私は、「ずるい」と見なされた。直接的に言ってくる生徒はいなかったし、いじめのようなものは全く無い。むしろ心配してくれる生徒はたくさんいて、もう少し心を開けばよかったと後悔してるほどだ。
ただ、たまに向けられる表情で、自分の立場を理解する。

私だって立場が逆ならずるいと思うだろう。
それほど皆が追い詰められていた。

私もプレッシャーで、まただんだんと行けなくなっていった。
ここらへんは記憶が曖昧なのだが、9月に体育大会があるため、8月下旬は体育大会の準備の時間が多くを占める。短い夏休み明けのその期間は、きちんと通っていた気がする。体育大会は生徒主体のため、それほど怖くなく、またマスゲームの練習も楽しかった。なにせ虚無ではない。発表する場があり、そのための練習なのだから。

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