なぜ大学に行きたかったのか

大学に行くのは当たり前だと思っていた、だけでは進学動機としては弱い、と言われるかもしれない。本当は他にも理由があったが、少し恥ずかしくて、前の記事では書けなかった。

12歳の、暴力から逃れ、一番自由を得たと思っていたあの頃。
私は「計画」を立てた。
将来の夢は2つあった。作家か、建築士だ。
どちらも職業のなり方は調べていた。大学は、九州大学の工学部か文学部に行こうと思っていた。当時、自宅から通える一番近い国立大学だ。
私が卒業した小学校は東京ほどではないが、かなりの数が私立中学に進む。いい中学に行った友人たちも、私のことを頭が良いと言っていた。
(なんどもなんども「頭が良いと言われた」と繰り返すのは情けないが、これが私の精神状態を説明するのには不可欠なのだ。客観的にすごく優れているという証拠はないのに、妙に他人には褒められる。私は全てを真に受けており、これが誇大妄想に塗れた10代後半の緩やかな地獄につながる)
誰からも無理とは言われないし、藍ちゃんなら行けると言われる。こつこつ勉強を頑張れば、なんとかなるだろう。
勉強の概念をわからないとあれほど繰り返し言っていたのに、勉強を頑張るとはどういうことか。この場合の「勉強を頑張る」は今まで通り、授業をきちんと聞いて、内容を理解しようとして、宿題をきちんとすること、という意味だ。プラスの「努力」のやり方を、私は高校受験まで知らなかった。
そうだ。中2のとき、数学の問題集を何度も繰り返し解くといい、というのを2ちゃんねるで読んでやってみたらテストがめちゃくちゃ良くてびっくりしたことはあった。それくらい、まるで知らなかったのである。
「計画」は不完全だった。「計画」ですらなく、夢想だった。私にとって大学受験は遠い未来のことであって、今と地続きという感覚が薄かった。これも発達の傾向なのかはわからないが。
(これも福岡の公立高校学区の面白いところなのだが、卒業小学校の学区と進学先の中学校は隣なのに、高校学区は違うのだ。親は隣県出身で、親同士のつながりもないので何も知らなかった)

私の趣味は読書だったが、中学時代読んでいたのは、数学や宇宙の本、SFや幻想やホラー、海外小説が多く、日本の高校受験や大学受験に関する内実を記した小説を手に取る機会はなかった。情報源はとにかく偏っていた。インターネットでもろくでもない場所に出入りしていたので、勉強の方法など知る由もなかった。
変な話だが、論文の検索方法は知っていたので、興味ある論文をよく読んでいた。
厳しい中学校の規則が苦しくて、管理教育について。公立高校学区の狭さに疑問を持って、公立高校の歴史や学区制について。教育史が好きになった。
こういうことを大学で勉強するのも面白そうだと思った。

矛盾するようだが、効果的な勉強法は知らないものの、勉強は好きだったのだ。
テストは半ば運試しだと捉えていたが、わかっていれば高得点が出るのでうれしいし、授業でも知識が増えるのはうれしいし、とにかくできたら嬉しい。英語だけは苦手だったが、今思うと「暗記」を一切してなかったのでそりゃ不得手だっただろうと思う。短期記憶が極端に弱く、暗記が苦手で、「そのときだけ覚える」ができなくて、勘でごまかしていたのだった。

中の上の成績は実両親を失望させていた。
公立中学校でトップでないのは、おかしいということだった。
酔った母に勉強しろ!と怒鳴られ、学生鞄に酒をこぼされ、酒臭い鞄を必死に洗った。
私は中学時代の自分は無知だが、愚かしいとは思わない。無知なだけだった。大人たちは、私に何も与えずに、結果だけを欲しがっていた。大人の私は、ひどいことと思う。中学生で誰の助けも得ずにモデルの仕事をするのも大変なことだった。幼児の世話も、家事も、食事作りも、負担だった。
私は高校受験のために本格的に勉強するまで、全く努力家ではなかったけど、隙間に少しだけ友人たちと過ごした時間、味わった自由な子供時代は宝物だ。

私は自由を享受するのに夢中で、そして他人の失望を自分に向けた諦念に変えていた。
でも、大学に行けば楽になれると思っていた。厳しい校則もないし、大学に行けば楽になれるとみんなが言う。好きな勉強がたくさんできる。まあ、英語はずっとしなくてはいけないけど、習熟度別クラスでは上になったし、なんとかなるだろう。

12歳が夢想するのは悪いことではないが、外れくじを引きまくる人生には夢想ではなく計画が、早期の正しい立派な綿密な計画が必要だった。
子供が綿密な計画を立て、実行することはとても難しいことだ。
生活保護世帯から東大で博士号をとった方がどれだけすごいか、不安定な状況で実行し続けるのがどれだけ、どれだけすごいことか、私は少しは実感を持ってわかるつもりだ。
できなかった側として。

そして、私は人生で誰からも「大学に行くべきではない」と言われたことがない。
幼少期から、周りから、全員に、行くべきだと言われてきたのだ。
だからこそ、私の精神が幼かったのかもしれないが、「普通に行く」道がない状況になったとき、戸惑い、苦しみ、誇大妄想に塗れたのではないかと思う。

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