高校時代①

https://note.com/nishidaai/n/n2d478c00a822

こちらでおおっざっぱに私の半生を記したが、その中でも、私が猛烈に後悔と悲しみを抱いている、高校時代の話を詳しくしてみたい。

今思うに抑うつ状態の始まりであったであろう高校受験期を過ごし、私は不本意ながら、三番手の県立高校に進学した。一番手でも二番手でもない、でも伝統ある進学校で、校則は当然厳しいが、のんびりした校風ではある、と聞かされていた。普通科高校の規則が厳しいのは福岡市近郊では当然のことだったので、それは我慢できる範囲として、のんびりした校風で芸能活動がOKなら、モデルの仕事もやりながら通えるだろうと思っていた。

結論から言えば、全て嘘で、間違いだった。

確かに、高校見学では嫌な予感がしていた。だが入ってしまえば大丈夫だと大人たちはいうのだ。どうにでもなると。偏差値だって60前半程度だし、あなたはもっと上の学力なんだから余裕だと。
でも、それは昭和のゆるい時代の話だったと今では思う。この世代間ギャップは、「大学はレジャーランド」だと勘違いしている上の世代と、同じようなものではないかと思う。今のほうが厳しくなっているのに、イマドキの子は、自分たちより楽をしているという思い込み。

さて、母は詐欺師に騙され身の丈に合わないマンションに引っ越しさせられたので、ぱっと見は私は生活レベルが上がったのだった。
自分の部屋ができた。団地の縁側に押し込んでいた勉強机は広々としている。貯金していたモデルのギャラで買った安いけどセンスの良い家具。少しずつ集めている吾妻ひでおの漫画本。夢のようだった。
春休みは新生活にわくわくしていた。春休みの課題は別に普通の量だったので、追われることもなかった。受験時に太ったぶん、少しダイエットもして体型を整える。「いけないマコちゃん15歳」というブログを当時書いており、吾妻ひでおや日常生活について記していた。それを読んでも、まだ明るかったことが伺える。

違和感は登校日に感じた。制服の採寸は冬服の上からがさつに行われ、何を測っているのかわからなかった。ただ入学準備をしに来ているだけなのに、「まだ何もしてないのにうっすら叱られる」空気が妙にあった。
お祝いのはずの入学式でも、「今までの甘えは許さない」という前提、激励と言うにはあまりに冷たく感じるそれに怖くなった。だってまだ、悪いことはなにもしてないのだ。ただいるだけで、ビクビクしなきゃいけない場所。
そして、自毛証明書を提出するようにいわれた。私の髪色は茶色なので、自毛だという親のサインがいるという。
中学の卒アルは卒業式後に配られたため、髪の毛が黒く加工されていることを卒業して知り、ショックを受けた。
数年前、記事になり、新聞記者さんが調査をしてくれたが、結局、真相はわからない。母は卒アルを見て、教育委員会にすぐ抗議したが、ろくな対応じゃなかったという。

また髪の色であれこれ言われる、そして証明書をわざわざ提出しなきゃいけないことは、いい気分ではなかった。
眉毛を剃ることも一切禁止なのも辛かった。私は眉毛が濃く、まぶたまで生える。本当になにもしなかったら困るので、こっそり「眉毛ではないだろう」という位置は抜いていた。

入学式の写真を見ても、顔が既に曇っている。
このあと、「研修合宿」が行われ、洗脳のようなその日々にますます絶望したのだった。

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