高校時代⑥ 欠席者指導

厳しいが虚無ではない練習を積み重ねた体育大会も終わり、通常授業が始まる。

私はそれから皆勤とはいかず、特別措置として、担任の授業だった数学は予習や課題を免除してもらえることになった。
休んでる間の単元を、担任に聞きに行ったら、放課後親切に指導してくれた。担任は、私の理解力を褒め、普段の厳しい担任とは別人のようだった。
この説明を授業中にしてくれたら、どんなに数学ができるようになるだろう、と思ったが、予習中心スタイルは変わらなかった。わからないことがあったら聞きに来るようにというが、その時間が難しいのだからややこしい。
あるとき、授業中に説明をしてくれたことがあって、みんな喜んでいた。
みんな勉強したくないわけではないのだ。わからないまま進んでいくのが辛いのだ。

私の自尊心は削れていった。本当はもっと偏差値の高い高校に行けたのに、高校受験のときはもっと偏差値があったのに。それなのにこの高校で劣等生だ。授業にはついていけない。
特に英語なんて、さっぱりわからない。
愛校心はなく、むしろ少し恥ずかしくも思っていたほどなのに、勉強面でもこんなにダメだなんて。

私だけが、こう思っていたわけではない。
トップ高校と比べ、「どうせ◯◯だから」という生徒は結構いた。ある授業中、教師が「県立高校で10番に入る高校にいるのだから、もっと自信を持っていい、自信を持って」という話を皆にしたことがあった。
だが、この恥ずかしさや自尊心のなさは、入学偏差値が恥ずかしいというわけではなく、入学後の仕打ちが引き起こした感情なのではないか?
自信を持たせないのは学校側。勉強は自分の学力に沿ってやるのが肝要なのに、ハードルだけ上げて、「できない」が積み上がっていくのだから、自信はどんどん減るだろう。

秋頃、「欠席者指導」が始まった。
うちのクラス独自の取り組みで、欠席・遅刻した者は次の日、体育館に集められ、担任の「指導」を受けるらしい。又聞きなのは、私はこの欠席者指導も免除してもらったからだ。
どんな理由でも学校を休んだら、次の日、わざわざ昼休みに叱られるなんて、不登校を作り出すようなものではないかと当時から思っていたが、担任はどんなつもりだったのか。真面目な生徒が少し体調を崩しただけで、わざわざ呼び出され指導される。ひどいと思った。
担任も、この高校出身だった。この高校の教育が素晴らしいと本気で思っていたのだろう。

そして免除の私はまたずるいと思われる。しょうがない。だがこんなに免除されていても行けない日があるなんて情けない。情けない、情けなさだけが積み重なる……

秋になり、私は16歳になった。
書いていたブログ「いけないマコちゃん15歳」は「いけないマコちゃん16歳」に改題した。
当時のブログには、漫画の感想の間に、英語の放課後補講を頑張る、と書いてある。1年生の単位だけは取って、単位制高校に入るという計画に向けて頑張っていたことが伺える。

だが、もちろんそれは成功しなかったのである。

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