高校時代② 新入生宿泊研修

私が絶望した新入生宿泊研修だが、市立中学でも似たようなことは経験した。しかし、小学校卒業したてのことだったし、公立中学はそんなもんだという諦念があったので乗り切れた。なにより、中学は「自分で選んで来たのだろう」とは言われない。義務教育だからだ。

しかし高校では違う。高卒当然社会の中で「義務教育ではない」と強調され、自分の選択の責任を取れ、と言われる。15歳が自分の意志だけで高校に入学することは不可能なのに。

私が経験したような新入生宿泊研修が全国で行われているのだろうか?
少なくとも福岡では当たり前のことだった。研修の内容は、主に集団行動訓練だ。

集団行動とはこのようなものだ。


このような集団行動をひたすら訓練する。

私が行った高校は元女学校で、このような「伝統」はなかったはず。しかし、どうやら、、元旧制中学のトップ進学校から輸入されたらしい。シニア世代の男性から、私の行った高校について、「女の多い高校はダメだ」という声も聞いたことがあり、元女学校の雰囲気は昔の男子生徒やその保護者にとっては好ましいものではなかったみたいだ。

なかなかこの「伝統」を説明するのは難しいのだが、とにかくひたすら歌を歌わせ(絶叫させ)、まだ足りない、もっとやれと追い詰めるものだ。
この「伝統」についてはクッキングパパのこの回で雰囲気がわかると思う。

高校入学して、伝統に戸惑い、学校に行きたくなくなるほど苦しむ子どもたち。クッキングパパという漫画で、「学校に行きたくなくなるほどの風習がある」と示されている意味は大きいと思う。

さて、山の中の合宿所で、集団行動訓練を繰り返す。
点呼を続ける。隊を組み直す。
行進をひたすらして、揃ってない!と怒鳴られ、終わらない行進をし続ける。◯高生としてしっかりしろと言われるわけだ。揃って行進できることは運動能力であって、◯高生としての云々は関係ないと思うが、とにかく終わるために行進をするしかない。

そして校歌を歌う。何度も言うが歌うのではなく絶叫をする。
口を大きく開け、顔を赤くし、自我をなくせばなくすほど「良い」こととされる。
私はそれをすること自体はなんでもなかったのだ。辛いのが「終わらない」ことだ。虐待を受けていたのでこれくらいなんてことなかった。
でも、そもそも虐待と比べる事象なのがおかしい。全員が「良い」歌い方をするまで終わらない、ということは誰かがちゃんと「歌って」ないということで、生徒たちの空気も淀む。

私は合宿から帰ってきたら、顎関節症になり、きちんとものを食べられなくなった。ぼろぼろ食べ物が溢れる。病院に行き、しばらく治療をしなければならなかった。
学校の指導で怪我をしたということで問題視されるべきだと思うのだが、「頑張りすぎちゃったんだね」で終わった。口を開けろ、叫べ、と言い続けたのは学校側なのに。不信感が募った。

また、研修中に、教師がある生徒に、「なんだその目は!魚の腐った目をしている!」と突然言った。
その生徒は中学が同じの男子でよく知っていた。彼の態度が反抗的に映ったらしいが、ちゃんと体育座りをしている。要は表情が悪いということだ。彼はもともとちょっと斜に構えた顔なのだ。なんてひどいことを言うんだと思った。彼は一ヶ月もしないうちに高校を辞めた。

(追記:このような合宿は企業合宿などでも行われると後に知った。カルト的宗教などでも。本筋から逸れるのであえて書いてなかったが、私は新興宗教の宗教二世で、中学まで宗教活動もしていた。だが、宗教の寒修行[ある期間、明朝に起きて読経をする]や登詣[読経しながら山を登る]のほうが断然楽だった。肉体的にはもちろん登山のほうがしんどいが、精神的苦痛が比べ物にならない。宗教では誰も怒ってこないし、伝統仏教がもとの新興宗教だったため、読経するお経は伝統仏教のものであり、内容はなかなか面白くもある。また植え付けられた信仰心が意味付けもしてくれる。この合宿は公教育の異常さを感じるだけだった。)

合宿という特殊な場だけ厳しいというわけではない。常にこの調子で15歳の私は怯え始めた。

通常授業が始まるが、必修の朝課外で私は睡眠時間が足りなくなり、頭が働かなくなり始めたのだった。

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