高校時代③ 朝課外と校門指導

九州の公立校出身者の大半が経験している朝課外。課外と名がつくが、必修である。
この朝課外問題、やっと問題視され始めた。
このような記事もある。

他にも朝課外について西日本新聞が取材を重ねているので、興味が湧いた方はぜひ読んでみてほしい。
(そして、この見出し写真の雰囲気は私が通っていた学校とそっくりである。福岡の伝統ある県立高は大半がこうだ。)

私が高校に入学したのは2007年である。朝課外は必修の授業として運用されていた。休むという選択肢はなかった。
授業開始は7時30分だったか、40分だったか。
だが、授業に間に合えばいいというわけではなく、もっと早く教室にいなくてはいけない。校門では教師たちが待ち構え、生徒指導をしていた。

部活用のスポーツメーカーのスポーツバッグを持っている生徒が「見た目が派手だ」と注意されていた。確かに色はピンク色だが、そのスポーツバッグは、むしろ高校生らしいもので、なにかだらしないところはひとつもない。
なにより、校則には色の指定はない。ただの教師の気分だ。

教師の気分による生徒指導は、いつ目をつけられるかという恐怖を生んだ。

私は、スカート丈が短いと注意されるようになった。制服店から買っただけで、なにひとつ加工などしてない。私の身長が高いので、膝の下部分が少しだけ見えているに過ぎない。膝自体は隠れている。
スカートを曲げていると決めつけられ、ウエスト部分を見せ、「背が高いからですかね」と話すと、ヘラヘラするなと怒られた。
じゃああの採寸はなんだったんだ、なんのための採寸なんだ、と怒りが湧いた。スカートの裾を伸ばすのもお金がかかる。私は親になにか頼むことができない子供で、モデルのギャラの貯金も家具などで使ってしまっていた。
腹を引っ込め、スカートをウエストをなるべく下げる。自分でなんとかしなければ、とひとりで苦しみ悩んでいた。

校門の生徒指導に怯えながら、朝、7時30分までに教室に着席する。

生徒指導なんて、大人の私にはなんてことない。どうにでも受け流す。
しかし、15歳の私にはとてもむずかしいことだった。
私が逃れた暴力に近いことを、赤の他人が正々堂々と、指導の名のもとに行っている。忘れようとしていた、忘れていた、家の中で、何を言われるかびくびくしていた小学生時代の私が、ふたたび顔を出し、実際以上の恐怖を、15歳の私は感じてしまったのだ。

私はそれでも家が近かったので、7時頃に家を出れば、30分の着席にギリギリ間に合った。だが大量の課題をこなして、7時出発に間に合うようにするには、睡眠時間が足りなくなっていった。

私はロングスリーパーで、睡眠障害も抱えている。
ナルコレプシーの症状もよく出ていた。
それなのに、6時間も寝れない日が続く。これは私の肉体的弱さのせいだ。
しかし、私はスパルタ高校だとわかって入学したわけではない。あくまで、のんびりした校風の進学校に入ったつもりだった。大人に裏切られたという思いは膨らむ一方だった。

朝課外の授業は、漢文と英語と数学だ。
必修授業で「課外」ではないため、ついていけないと自分が困る。実力より下の高校で「のんびり」する計画は数日で破綻した。

最初の記事で書いた通り、私の発達には凸凹がある。
短期記憶が極端に弱い。ある分野では下位2割だったりする。そんな中、英語の小テストが私を苦しめ始めた。やってもやっても英単語が覚えられない。みんなは休憩時間にさっと覚えている。私は前日から頑張っても合格点に達しない。
ここで開き直ればよかったが、私は今まで「勉強ができない」と苦しんだ経験がなく、やってもできないということが恐ろしくてたまらなかった。そして合格点に達しない場合のペナルティはどんどん溜まっていく。

もともと英語は得意ではなかったが、少なくともこの高校に入れるほどの基礎はあったはずだ。それなのに、授業も、早すぎてついていけず、訳文の確認すらできないこともあった。

次に困ったのは数学だった。数学は予習中心で、授業はその答え合わせをするだけだ。解説も特にない。毎週の課題も来週まで答えは配られないので、わからなかったらわからないままである。
よくある授業方法なのだろうが、量が多すぎた。合っているか合っていないかわからないまま大量に問題を解くということの意味がわからなかった。
のちのち、他の生徒は市販の教科書ガイドなどを使い、教科書を理解していたのだと知った。
それでも数学は問題を解く楽しさがあるので、成績自体は普通程度だったのだが。

ADHDの傾向(診断済)もあり、優先順位をつけるのも苦手だった。課題をどう取り組めばいいか、次第にパニックを起こし始めた。そんな中、モデルのレッスンやオーディションにまで行っていたのだから本当に愚かである。何かを辞める、という発想がなく、できない私が悪いのだから頑張らなくてはいけないとだけ思っていた。

頑張る、といっても頑張り方がわからないのではうまくいかない。
うまくいかない自分が憎らしかった。

GW明けの朝、私は家にあった向精神薬や睡眠薬を過剰服用した。
高校から逃げたかったが、どうすればいいかわからず、このような手段に出てしまったのだ。

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