西田藍

91年生。ミスiD2013というオーディションをきっかけにアイドルとしてデビューし、文…

西田藍

91年生。ミスiD2013というオーディションをきっかけにアイドルとしてデビューし、文筆業メインで活動しています。SFマガジンで連載中です。

記事一覧

潰れたケーキのクリーム部分

どう言えばよいのか。 例えば、精神に変化が訪れるような薬を飲んでアイデンティティについて悩む、という文章を読むと、実は少しまぶしい気持ちになる。 彼らはもともと…

西田藍
3日前
10

思春期おしゃれ読書

Xでなんだか村上龍が話題だ。初めて村上龍を読んだのは『コインロッカー・ベイビーズ』で、13歳になったばっかりの頃だった。 そのとき私は福岡市内の大名という場所に住…

西田藍
6日前
18

第一印象の科学、または日本語がお上手ですね

「日本語がお上手ですね」と、褒められることがある。 飲食店で、スキー場で、資料館で、様々な場所で。 その「上手ですね」は、外見から、母語が日本語でない者が日本語を…

西田藍
8日前
12

趣味は読書です――本当に?

母の再婚相手の唯一の善行は、小学校入学前の私にミヒャエル・エンデの『はてしない物語』をプレゼントしたことだ。読書が好きな連れ子に、入学祝いにあかがね色のそれを渡…

西田藍
9日前
28

子供がタバコを買えたころ

私が小5か小6のころまでは、子供も酒やタバコを買えた。 令和では信じられないが、平成中期でも、大人のお使いで買いに行かされることもよくあったのだ。 母親の再婚相…

西田藍
10日前
12

私の名前を決めた日

私の名前を決めたのは車の中だった。 少ない荷物を後部座席に置いて、その隣に私は座って、前にいる母と叔母の会話を聞いていたのだった。 今日は新しい学校に通う日だ。二…

西田藍
10日前
10

番外編*おもしろ教育法

連れ子の私が随分「出来が良い」ことで、母親の再婚相手(以下、Xと記す)はたぶん、妙に盛り上がったのだろう。 「福高に行って九大に行くんだ」とよく言っていたが、別に…

西田藍
10日前
11

ナルシスト

さて、前の記事の通り私は運良く、芸能界にはなんとか入れたものの、芸能界の中においては、全く美人ではない。 しかし、幼少期は典型的「ハーフ」な顔立ちだったこともあ…

西田藍
12日前
12

運がいいのか、悪いのか

幼稚園の頃、私の将来の夢は「モデル」だった。 でも、モデルがなにかはあまりわかってなかった。でも、周りの皆が「将来はモデルだね」というので、そうなのだと思った。 …

西田藍
2週間前
14

愚かしき高卒認定受験日記

高校に行っていれば3年生である、17歳の春。 私は当時、何度も精神科に入院するほど調子が悪かった。 しかし、高卒資格はなんとか皆と同じタイミングでとりたい。9月に…

西田藍
2週間前
15

高校時代⑦ セクハラ被害に遭ってクビ

後は退学しかない中、高校に籍だけ残したまま、次の年度になった。留年という形になる。どうしてすぐに退学しなかったのか今でも全く理由はわからないが、高校生でなくなる…

西田藍
3週間前
23

高校時代⑥ 欠席者指導

厳しいが虚無ではない練習を積み重ねた体育大会も終わり、通常授業が始まる。 私はそれから皆勤とはいかず、特別措置として、担任の授業だった数学は予習や課題を免除して…

西田藍
3週間前
17

高校時代⑤ 追試代わりの平常点

保健室登校から通常登校を始めたが、とてつもなく苦しい日々だった。 まだ出席日数は大丈夫だったが、課題をこなせず、単位が取れるか不安になっていた。 この高校の期末…

西田藍
3週間前
13

高校時代④ 保健室登校

GW明けの朝、私は家にあった向精神薬や睡眠薬を過剰服用し、そのまま不登校になった。 私は、このときまで驕りがあった。 自分は、家庭環境が悪い中、それなりに頑張って…

西田藍
3週間前
34

高校時代③ 朝課外と校門指導

九州の公立校出身者の大半が経験している朝課外。課外と名がつくが、必修である。 この朝課外問題、やっと問題視され始めた。 このような記事もある。 他にも朝課外につい…

西田藍
3週間前
12

高校時代② 新入生宿泊研修

私が絶望した新入生宿泊研修だが、市立中学でも似たようなことは経験した。しかし、小学校卒業したてのことだったし、公立中学はそんなもんだという諦念があったので乗り切…

西田藍
4週間前
14

潰れたケーキのクリーム部分

どう言えばよいのか。

例えば、精神に変化が訪れるような薬を飲んでアイデンティティについて悩む、という文章を読むと、実は少しまぶしい気持ちになる。
彼らはもともとそれほどまで自分のアイデンティティがあったのか、と。

私は私があるという気がしないし、短絡的な願望はあれど(眠いとか、あれが食べたい、とか)、長期的に実のある望みやそれに向かって地道な努力をするような、アイデンティティと言えるような一連

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思春期おしゃれ読書

Xでなんだか村上龍が話題だ。初めて村上龍を読んだのは『コインロッカー・ベイビーズ』で、13歳になったばっかりの頃だった。

そのとき私は福岡市内の大名という場所に住んでいて、貧しいけどもおしゃれな人間として生きていきたいと強く願っていたのだった。大名はセレクトショップやカフェがひしめく九州屈指のおしゃれなエリアである。
だがもちろん、もともとそこに生まれ育ったクラスメイトたちはそんなこと思ってもい

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第一印象の科学、または日本語がお上手ですね

「日本語がお上手ですね」と、褒められることがある。
飲食店で、スキー場で、資料館で、様々な場所で。
その「上手ですね」は、外見から、母語が日本語でない者が日本語を習得したという前提での褒め言葉である。私の父親は外国人だが、母親は日本人で、日本生まれの日本育ち、母語は日本語である。
そのまま受け流すときもあれば、明るく(重要)「日本生まれです!」とか、答えることもある。なにが正解かはわからない。

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趣味は読書です――本当に?

母の再婚相手の唯一の善行は、小学校入学前の私にミヒャエル・エンデの『はてしない物語』をプレゼントしたことだ。読書が好きな連れ子に、入学祝いにあかがね色のそれを渡すのはセンスがいい。最初で最後の善行だろう。
6歳児には難しそうなその本に一気に引き込まれ、数日で読み終わった。
それから私は堂々と「本が好き」と言うようになった。
なんてったって私は『はてしない物語』を読破したのだから。

それからずっと

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子供がタバコを買えたころ

私が小5か小6のころまでは、子供も酒やタバコを買えた。
令和では信じられないが、平成中期でも、大人のお使いで買いに行かされることもよくあったのだ。

母親の再婚相手、Xに、セブンスターを買ってこい、と言われ、私は外に出る。
コンビニはすぐ近くにあった。マンションを出て、左。右に曲がって、すぐに、ファミリーマートがある。
コンビニで、セブンスターをください、という。

小6頃だろうか、コンビニでタバ

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私の名前を決めた日

私の名前を決めたのは車の中だった。
少ない荷物を後部座席に置いて、その隣に私は座って、前にいる母と叔母の会話を聞いていたのだった。
今日は新しい学校に通う日だ。二学期を少し過ぎた頃、また私は転入生となる。

「そういえば、名字はどうする?」
母か叔母が尋ねた。

戸籍名ではない名前で学校に通えるとは思ってなかったので、驚いた。

「X…は嫌でしょ?」
母の再婚相手の名字。憎き加害者の名字、名乗らな

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番外編*おもしろ教育法

連れ子の私が随分「出来が良い」ことで、母親の再婚相手(以下、Xと記す)はたぶん、妙に盛り上がったのだろう。
「福高に行って九大に行くんだ」とよく言っていたが、別に塾に行かせるわけでもなく、勉強道具を与えるのではなく、謎の教育を行っていた。

その中で特に虚無だった記憶は、”フリーハンドで完璧な平行線を引ける練習”だ。

当時9歳だった私は、当時は人より少しだけ絵が描けた。といってもクラスで三番目く

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ナルシスト

さて、前の記事の通り私は運良く、芸能界にはなんとか入れたものの、芸能界の中においては、全く美人ではない。

しかし、幼少期は典型的「ハーフ」な顔立ちだったこともあり、それはもうことあるごとに容姿を褒められてきた。「ハーフ美少女」として扱われた。
それは母親の再婚相手(以下、Xと記す)にとっては恰好の攻撃要素となった。

(ちなみに、「ハーフ美少女」とは私がよく使うフィクションの概念であり、現実の多

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運がいいのか、悪いのか

幼稚園の頃、私の将来の夢は「モデル」だった。
でも、モデルがなにかはあまりわかってなかった。でも、周りの皆が「将来はモデルだね」というので、そうなのだと思った。

中1時点での私の将来の夢は作家か建築士で、芸能人になろうとは思っていなかった。当時、モデル事務所には所属していたが、親が勝手に申し込んだのだった。とりあえず、モデルにはなった。

昔から、芸能界に入れたがったのは親だった。
小学生の頃は

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愚かしき高卒認定受験日記

高校に行っていれば3年生である、17歳の春。

私は当時、何度も精神科に入院するほど調子が悪かった。
しかし、高卒資格はなんとか皆と同じタイミングでとりたい。9月に行われる高卒認定資格試験を受けようと申し込み、絶対にすべての教科を絶対一発で合格してみせると意気込んでいた。

私は本当は頭がいいはずなのだから!(きっと、そうであると、願いたいのだ……)

といっても、私がやっていた勉強は「体調がいい

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高校時代⑦ セクハラ被害に遭ってクビ

後は退学しかない中、高校に籍だけ残したまま、次の年度になった。留年という形になる。どうしてすぐに退学しなかったのか今でも全く理由はわからないが、高校生でなくなるのが怖かったのだろうか?
結局きちんと退学したのは、5月ごろだっただろうか。

そんな中、とにかくまた、悲劇が襲った。
母親が仕事を辞めさせられたのだ。

母は派遣社員で、派遣先でセクハラ被害にあっていた。私たちのために我慢をしていたが、と

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高校時代⑥ 欠席者指導

厳しいが虚無ではない練習を積み重ねた体育大会も終わり、通常授業が始まる。

私はそれから皆勤とはいかず、特別措置として、担任の授業だった数学は予習や課題を免除してもらえることになった。
休んでる間の単元を、担任に聞きに行ったら、放課後親切に指導してくれた。担任は、私の理解力を褒め、普段の厳しい担任とは別人のようだった。
この説明を授業中にしてくれたら、どんなに数学ができるようになるだろう、と思った

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高校時代⑤ 追試代わりの平常点

保健室登校から通常登校を始めたが、とてつもなく苦しい日々だった。
まだ出席日数は大丈夫だったが、課題をこなせず、単位が取れるか不安になっていた。

この高校の期末試験は一発勝負で、追試はない。
日頃、きちんと予習をし、課題をこなしていたら平常点が与えられるので、単位を落とすことはめったにないと説明された。つまり、予習や課題をしなければ単位を落とすということである。
私が辛かったのは課題ではなく予習

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高校時代④ 保健室登校

GW明けの朝、私は家にあった向精神薬や睡眠薬を過剰服用し、そのまま不登校になった。

私は、このときまで驕りがあった。
自分は、家庭環境が悪い中、それなりに頑張ってきた。
中学時代に少し不登校になっても、なんとか学校に通えるようになったし、環境が悪くても、酒もタバコもやっていない。犯罪も犯してない。不良じゃない。高校受験で本気で勉強したら偏差値だってぐっと上がった。
私はちゃんとやれている、と思い

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高校時代③ 朝課外と校門指導

九州の公立校出身者の大半が経験している朝課外。課外と名がつくが、必修である。
この朝課外問題、やっと問題視され始めた。
このような記事もある。

他にも朝課外について西日本新聞が取材を重ねているので、興味が湧いた方はぜひ読んでみてほしい。
(そして、この見出し写真の雰囲気は私が通っていた学校とそっくりである。福岡の伝統ある県立高は大半がこうだ。)

私が高校に入学したのは2007年である。朝課外は

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高校時代② 新入生宿泊研修

私が絶望した新入生宿泊研修だが、市立中学でも似たようなことは経験した。しかし、小学校卒業したてのことだったし、公立中学はそんなもんだという諦念があったので乗り切れた。なにより、中学は「自分で選んで来たのだろう」とは言われない。義務教育だからだ。

しかし高校では違う。高卒当然社会の中で「義務教育ではない」と強調され、自分の選択の責任を取れ、と言われる。15歳が自分の意志だけで高校に入学することは不

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