西田藍

91年生。ミスiD2013というオーディションをきっかけにアイドルとしてデビューし、文…

西田藍

91年生。ミスiD2013というオーディションをきっかけにアイドルとしてデビューし、文筆業メインで活動しています。SFマガジンで連載中です。

最近の記事

高校時代⑦ セクハラ被害に遭ってクビ

後は退学しかない中、高校に籍だけ残したまま、次の年度になった。留年という形になる。どうしてすぐに退学しなかったのか今でも全く理由はわからないが、高校生でなくなるのが怖かったのだろうか? 結局きちんと退学したのは、5月ごろだっただろうか。 そんな中、とにかくまた、悲劇が襲った。 母親が仕事を辞めさせられたのだ。 母は派遣社員で、派遣先でセクハラ被害にあっていた。私たちのために我慢をしていたが、とうとう耐え難くなり、被害を訴えた。辞めさせられた理由はこれだった。 うつで引きこ

    • 高校時代⑥ 欠席者指導

      厳しいが虚無ではない練習を積み重ねた体育大会も終わり、通常授業が始まる。 私はそれから皆勤とはいかず、特別措置として、担任の授業だった数学は予習や課題を免除してもらえることになった。 休んでる間の単元を、担任に聞きに行ったら、放課後親切に指導してくれた。担任は、私の理解力を褒め、普段の厳しい担任とは別人のようだった。 この説明を授業中にしてくれたら、どんなに数学ができるようになるだろう、と思ったが、予習中心スタイルは変わらなかった。わからないことがあったら聞きに来るようにと

      • 高校時代⑤ 追試代わりの平常点

        保健室登校から通常登校を始めたが、とてつもなく苦しい日々だった。 まだ出席日数は大丈夫だったが、課題をこなせず、単位が取れるか不安になっていた。 この高校の期末試験は一発勝負で、追試はない。 日頃、きちんと予習をし、課題をこなしていたら平常点が与えられるので、単位を落とすことはめったにないと説明された。つまり、予習や課題をしなければ単位を落とすということである。 私が辛かったのは課題ではなく予習であった。 課題は、少なくとも習ったことをやる。(数学は「習う」ことがほとんどな

        • 高校時代④ 保健室登校

          GW明けの朝、私は家にあった向精神薬や睡眠薬を過剰服用し、そのまま不登校になった。 私は、このときまで驕りがあった。 自分は、家庭環境が悪い中、それなりに頑張ってきた。 中学時代に少し不登校になっても、なんとか学校に通えるようになったし、環境が悪くても、酒もタバコもやっていない。犯罪も犯してない。不良じゃない。高校受験で本気で勉強したら偏差値だってぐっと上がった。 私はちゃんとやれている、と思い込んでいた。 そして、これから人生は好転していくはず、と思っていたのだ。 言って

        高校時代⑦ セクハラ被害に遭ってクビ

          高校時代③ 朝課外と校門指導

          九州の公立校出身者の大半が経験している朝課外。課外と名がつくが、必修である。 この朝課外問題、やっと問題視され始めた。 このような記事もある。 他にも朝課外について西日本新聞が取材を重ねているので、興味が湧いた方はぜひ読んでみてほしい。 (そして、この見出し写真の雰囲気は私が通っていた学校とそっくりである。福岡の伝統ある県立高は大半がこうだ。) 私が高校に入学したのは2007年である。朝課外は必修の授業として運用されていた。休むという選択肢はなかった。 授業開始は7時40

          高校時代③ 朝課外と校門指導

          高校時代② 新入生宿泊研修

          私が絶望した新入生宿泊研修だが、市立中学でも似たようなことは経験した。しかし、小学校卒業したてのことだったし、公立中学はそんなもんだという諦念があったので乗り切れた。なにより、中学は「自分で選んで来たのだろう」とは言われない。義務教育だからだ。 しかし高校では違う。高卒当然社会の中で「義務教育ではない」と強調され、自分の選択の責任を取れ、と言われる。15歳が自分の意志だけで高校に入学することは不可能なのに。 私が経験したような新入生宿泊研修が全国で行われているのだろうか?

          高校時代② 新入生宿泊研修

          高校時代①

          https://note.com/nishidaai/n/n2d478c00a822 こちらでおおっざっぱに私の半生を記したが、その中でも、私が猛烈に後悔と悲しみを抱いている、高校時代の話を詳しくしてみたい。 今思うに抑うつ状態の始まりであったであろう高校受験期を過ごし、私は不本意ながら、三番手の県立高校に進学した。一番手でも二番手でもない、でも伝統ある進学校で、校則は当然厳しいが、のんびりした校風ではある、と聞かされていた。普通科高校の規則が厳しいのは福岡市近郊では当然

          高校時代①

          なぜ大学に行きたかったのか

          大学に行くのは当たり前だと思っていた、だけでは進学動機としては弱い、と言われるかもしれない。本当は他にも理由があったが、少し恥ずかしくて、前の記事では書けなかった。 12歳の、暴力から逃れ、一番自由を得たと思っていたあの頃。 私は「計画」を立てた。 将来の夢は2つあった。作家か、建築士だ。 どちらも職業のなり方は調べていた。大学は、九州大学の工学部か文学部に行こうと思っていた。当時、自宅から通える一番近い国立大学だ。 私が卒業した小学校は東京ほどではないが、かなりの数が私立

          なぜ大学に行きたかったのか

          将来を嘱望されながらも大学に行けなかったある愚かな一例

          「生活保護世帯から東大で博士号を取るまで」というすばらしい記事を読んだ。生活保護家庭の困難、ひとつひとつの努力による打開。並大抵のことではない。 私という運が悪く、能力の低い、そして愚かしい人間が、大学進学を望みながら、できなかった、という一例を、取り急ぎ記したい。これは、「悪い例」である。 私は、10年以上前、ミスiDというオーディションから、「文学アイドル」「書評アイドル」としてデビューした西田藍だ。文筆業をすることができたのは幸運だったが、それ以外は不運に見舞われて

          将来を嘱望されながらも大学に行けなかったある愚かな一例