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2024/5/18 "ダンス、ファッション、青空、手当という言葉の由来、手を振ることに込められた魔力、万葉集、原始化、野生化、ノンバーバル(非言語)化していく世界"

世界はどんどん複雑化してるように見えて、実はその真逆で、実は、加速度的に「原始化、野生化、ノンバーバル(非言語)化」へと変容している肌感がある。

これは、年中戦争をしてる国イスラエルに半年間住み、あらゆるドラッグが合法な国に滞在し、世界中から死体が集まり火葬される場所に滞在し、世界最悪の風俗街と呼ばれるインドソナガチで少年たちとセルフィーを撮り、あらゆる国の中で唯一「ホストクラブ」がある国に生まれ育ち、最近K-POPにハマり、「他者からどう見えるか」を考えるファッションという職業で8年間生きてきて、東南アジア、アフリカ、ヨーロッパ35の国々を周遊してきた自分が思う、偏見と、肌感に基づいた、2024年現在の、ざれごとである。

それを前提とした上での、一つの結論である。

それはいったん置いといて。

万葉集によると、僕らはみな意味もわからずに、別れや見送りやライブ鑑賞の時「手のひらを広げ、肩よりやや高い位置にそれを上げて、左右に振る動作」をするけれど、この動きは元々「あなたのその後も幸せでありますように」を意味する「おまじない」だってことを、最近知った。

それを知った時、二度と会えない人、話したいけど話せなくなった人、どうしようもない別れ方をしてしまった人、「このユーザーは退会しています」、名前も知らないけど親切にしてくれた旅路やライブハウスや飲み屋の人々、そんな人たちも、「最後は手を振りあって別れたよな」と思い出して「じゃあ、もう大丈夫だな」と思えたのが、4月。

僕らはつい、自分なんて誰にも幸せを求められていない気になって、ここじゃないどこかに幸せがあるはずだと思いつづけ、知らぬ間に築いていた自分らしさのの檻の中でもがき続けがちだけれど、実はかなり日常的に、幸せを祈り祈られ、生きている。
お前が俺の人生から退会しても、お前が俺にくれた武器や魔法は消えないんだが。

ここ数ヶ月、一番ハマってる「娯楽」を紹介。
アンティーク家具雑貨屋巡りをすること、
そして────屋外で横になり、空を見上げること。

歩きながら、立ったまま、ちょっと空を見上げるとかじゃ、全然ダメ。空を見る時はさあ、自分の立ち位置とか、行き交う人々とかを「いったん全部視界と認識からどかした方」がいい。眼の前に、青空しかない。逆にいうと、それ以外が何もない。周りに誰がいるか、人からどう見られるか、全部、見えなくなる。そういう状況を作るんだよ。どこにいっても、そうしようとしなきゃそうならないし、どこにいっても、そうしようとすればそうなるから。マジ、一回やってみてほしい。うっとおしいなと感じるものだって、案外、視界にいなければ、どうでもよくなる。どうでもよくなれる。そういうことをしても許されるくらいの美しい景色が、絵画が、いつも僕らの頭の上にあること、君にはぜひ、覚えていてほしい。君が本当にマジでしんどかったり死にたくなった時は、本当はどこで寝転がってもいいってことを、それくらいの価値と理由がある美しいものが上空にあることを、何時間でも見上げてていいってことを、覚えていてほしい。新しい何かやリラックスしたい何かに出会いたい時、本当は、美術館にも、映画館にも、海にも、行かなくていい。バス停でも、国道沿いでも、田んぼ沿いでも、帰り道でも、近所の公園でも、草原の上でも、ベンチの上でも、駅前でも、かまわない。真上を見れば、視界が変われば、心の居場所も変わる。立ちながら真上を見るのは疲れるから、寝転がればいい。てじか、絶対に、寝転がった方がいい。どこでやってもいい。どこでもいい。大した迷惑じゃない。君が死んでしまうより、苦しみ続けながら過ごすより、よっぽどいい。絶対にいい。


「”手当”って言葉の意味って知ってますか?その漢字の通り、”手を当てること”から由来するんですよ」


約8年前、上京直後、夜の原宿で出会った女子大生が教えてくれたそんな話を、今も覚えてる。

「医療技術が発達してなかった頃、患者に対して何も処置できることはなくて、もうあとは祈るしかない、手を当てて優しい言葉をかけるしかない。つい一昔まで、どこだってそういう状況の人が多くて、そういうところから、”手当”って言葉が生まれたみたいで。でもこの話には続きがあって、実際にそれだけで、手を当てるだけで、気持ちが楽になったり、それをきっかけに回復することも多くあったみたいで。だから、しんどい時、どこか痛い時、苦しい時は、そこに手を当てるといいですよ。当てるだけで、本当にちょっと良くなりますから」


と、彼女は話した。

僕は、その話が本当かどうか、8年間、今の今まで、一度も「検索」をしていない。

そして今後も、調べる気はない。

なぜか?
この話の大事なポイントは「真偽」じゃないからだ。

ここで真偽を調べたら、この話の「内容」を何も聞いてないのと同じになるからだ。

それが嘘でも本当でも、俺は今後も「そう」思いながら生き、話し、実行するつもりである。
わからないけど、やるのである。
信じて、祈って、実行するのである。
文字として確かなことより、不確かだけど愛ある行動の方が、大事だと思いませんか?はい、思います。

僕は近頃、「この話がもたらすものに近いもの」が、近頃あらゆるところに漂ってる感覚がしてる。

世界はどんどん複雑化してるように見えて、実はその真逆で、実は、加速度的に「野生化、ノンバーバル(非言語)化」へと変容している肌感がある。そしてこれを「退化」ではなくて「原始化」「根源化」と捉えてる。これまでの倫理、理屈、常識、通念というものがどんどん解除され、言語化できない「なんかいいかんじ」が、あらゆる「価値」や「評価」を作っていってる感覚がある。

例をあげると、「ダンス」や「ファッション」や「スタンプ」だ。

振り返ってみるとどうだろうか。僕ら、好きな人や友達とのコミュニケーションで、「自分で考えた言葉」より、身体的なコミュニケーションや、いつものノリ、スタンプや、画像や、ネットミームや、定型文を使ってる量の方が、多くないだろうか。それに対して、良い/悪い、のジャッジを下すつもりは全くない。ただ、世界全体が、そういう風になってきてる感覚がある。「この状態」が、世界の作りを今後どんな風に変えていくのか、好奇心がある。自分自身も、それを楽しみ、馴染んでる部分がある。

この文章も、きっと、ここまで読み終わる人は、数名なんじゃないかと思う。でも、それでいいと思ってる。「世界」というものが「100」だったとして、「言語」が捉えることが出来る部分は、「1」にも満たないっていう結論は、たしかにある。

言葉には、全ての思いや事実や歴史は宿ってない。
「それ以外」が99%なのだ。

君は、文章を読む必要なんてない。
「そこから世界や人間の全てが解釈できると思うこと」こそが、「理解や認識を遠ざける」とすら、近頃思ってる。

僕は書くのが好きで、くだをまくのが好きだから、書いてるだけなんだ。

本当は、僕はただ、君と踊っていたい。

「なんかいい感じの見た目のもの」を、探し巡って見て集め続けていたい。

「所作と連動した音楽」を、鑑賞して、楽しんでいたい。

一日中青空を見上げて過ごしても大丈夫な日を、年々増やしていきたい。

好きな服を着て、毎日過ごしていたい。

巡り巡って、「ファッションデザイナー」という職業が、天職だなと思う。

今日は良い1日だった。
今週も、今月も、まとめて。

武蔵野市吉祥寺北町一丁目、松田より。

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