たくみん

主に文章を書くことについて、書いていきます。書くという行為に様々な可能性があるとおもっ…

たくみん

主に文章を書くことについて、書いていきます。書くという行為に様々な可能性があるとおもっています。自分の気持ちを整理したり、考えを発展させたり、他人と自分をつなげたり。noteに投稿することで「書くこと」の尽きない可能性を、自分なりに追求したいと思います。小説やエッセイを書きます。

マガジン

  • メタセコの空

    ある時、メタセコイアに包まれた空を見た僕は、「メタセコイアを育てたい」と思う。隣に住む博士のアドバイスを聞き、タネを拾い、3本のメタセコイアを育て始めた。 そうしているうちに、素敵な女性のナオさんと出会う…… 週に一回ほど更新を目指します。 エッセイ的1話1話読めるスタイルで描きます。

  • わたしではないわたし

    制作日記を、一ヶ月分ぐらい書いて、その後に「わたしではないわたし」という作品を書きます。一つのエッセイが出来上がっていく様子をご覧ください。最後の「わたしではないわたし」は有料(100円)にする予定です。

  • 文体練習

    文体を試行錯誤した結果。 壊れてしまいました。 音声認識、いろいろな手段を使って文体を捻らせる試み。 一応、連載停止中。またやるかもしれません。

  • 137

    あと、137日で地球に別の惑星が衝突して落ちてくる。最後の日々を綴る日記。言葉と考えること、生きること、愛することなど。 小説家になろう。で書いていた昔の小説をブログ形式で再構成します。 元作品(未完結):https://ncode.syosetu.com/n1782dy/

  • どこで役立つかわからない見出し画像ギャラリー

    自分で描いた見出し画像をまとめて投稿します。 投稿されている画像は、みんなのフォトギャラリーで使えます。

最近の記事

白いところから始めたい衝動がある

白いところから始めたい衝動がある。全く汚されない文章から。書くことは、そもそもが、全く白いところから言葉を書いていくことだから。 noteでブログを更新していた時、書くことのコンセプトは、全くゼロからはじめることだった。同じことの繰り返しでも良い、書きながら考えてもいい、という勢いでただ頭から書き始めた。 こうしてnoteについて言及している点で、この「白いところから始めたい衝動」というのが、わたしがnoteで書くときの一つの文体として定まっていっているのに違いない。 毎回

    • 等身大の言葉を書けるようになりたい

      自分が今まで書いてきた文章の語り方が、今になって自分に合っていない気がする。 なんとなく、文章を書くことは、すごいことのようなイメージがあって、図書館にある本はちゃんとしていなきゃいけないとか、本屋さんで売られるような本を書く人はすごいとか、思われている気がしています。それが、書くことの敷居を高くしている気がします。そして、その敷居を越えようと勇気を出して書き始めた人たちは、「自分たちはまだまだ」とか、「なんか書いていると友達に言うのが恥ずかしい」と思ってしまうのではないで

      • シンプルな表現は力を持っている

         手書きで書いて、手書きで添削するのも悪くはない気がする。文章を書き続けていると、自分が何を書いたのかを、覚えていられるようになってきた気がする。特に手で書いていると、書いたことをよく覚えている。  最初からキーボードで書いて、デジタルで形にすると、何を書いたか、片っ端から忘れている。書こうと思ったコンセプトだけを覚えていて、細かい言い回しや、言葉の選び方を忘れている。あまり考えながら書いていないのかもしれない。  文章の修正を重ねると、言葉がどんどんシンプルになって、手

        • 書く前から知っている

          つかれているときも、調子がいいときも、退屈なときも、うれしいときも、いつも書いていたいと思っている。書きたいときだけに書くなら趣味だ。でも、私は修行のように書きたい。私にとって、書くことは、思いのままに何かをする、とか楽しさを感じるとか、というものではない。 書き始めた頃は、心がわくわくしていた。その頃のときめきを、再現することはできない。けれども、わくわくしていたのは本当だ。だから、書くことの魅力を私は、書く前から知っていたといえる。 書きながら見つけた楽しさよりも、書

        白いところから始めたい衝動がある

        マガジン

        • メタセコの空
          8本
        • わたしではないわたし
          31本
        • 文体練習
          15本
        • 137
          131本
        • どこで役立つかわからない見出し画像ギャラリー
          5本
        • 書くことをどう伝えるかについての考え事
          21本

        記事

          ゆっくりと言葉をえらんだ

           冬は何かをゆっくり時間をかけて取り組むのに向いている季節だ。と手帖のページの隅に書いてあったのを覚えている。  今日は朝、文章を書こうとしてなかなか筆が進まなかった。昨日、あまり眠れていないせいもあるかもしれない。部屋が寒くて、手を動かすのがおっくうだった。  本当はランニングもしたかったが、寒くて着替える気にもなれずに、部屋の机に座った。出かける時間まであと、三十分ほどある。昨日まで三日間連続で夜遅くに寝た。遅いほど寝付きが悪くて、寝不足だ。頭がうまく回らず、書こうと

          ゆっくりと言葉をえらんだ

          旅の二つの力

           いつもと違う電車に乗り、いつもと違う時間に、いつもと違う場所に行く。  電車から見えるあの塔はなんだろう。煙突のような高い塔の上に、家のような五角形の部屋がついている。  近くでも見たことがある。あのときは、自転車でどこか知らないところに行きたかった。地図を見ないで、家からつながっている道を行った。通学路でも、遊びに行く道でもない。こぎながら道を覚えて、行った道を引き返した。この間はここまで行けたから、今日はもっと遠くへ行こうと思って、もっと進んだ。知っている道が増える

          旅の二つの力

          ともに生きている、ということ

           何かを育てることの楽しさとは、何かと一緒にいることの楽しさだ。  うちのアパートの庭には、三本のメタセコイアが置いてある。まだ、公園に立っている高く大きなメタセコではないが、そんなことは気にならない。  確かに彼らは育っていくものなのだが、だからといって育って行く途中の彼らが、仮の姿だとか、未熟なものだとか思うわけではない。育てていく楽しさはいつも課程にある。  むしろ、そうやって生き生きと育っていく彼らは、育つことに夢中で、見ている僕らの方に構わない。それよりも、太

          ともに生きている、ということ

          はじめて手をつなぐ

           ナオさんと僕はよく散歩をしていた。週末に会うたびに、東京中の公園を巡り巡った。僕が最初にメタセコイアを見た、石神井公園で二人でデートをした。  公園にはいると、スワンボートがいくつも池に並んでいた。僕たちはそれを横目に歩き続けた。ナオさんは何かを育てることのうれしさや、わくわくを熱く語ってくれた。ナオさんは花の名前や樹木の名前をよく知っていて、香りを嗅いだらどこにあるのかもすぐに分かる。その代わり、都会の車のガスやたばこの臭いが嫌いだ。  コスモスの花の色や、楠の葉が揺

          はじめて手をつなぐ

          雲の形なんて覚えていないけれど

          ナオさんと出会ったのは、ちょうどメタセコイアが紅葉する頃だった。だから、最初の方の記憶は秋晴れの記憶が多い。ふたりとも晴れを呼び寄せるのか、出かける日はたいてい晴れていた。 自分は晴れ男なのだとだんだん思うようになった。まあ、こういうのは、幸運な体験を積み重ねた結果生まれてきた感覚なんだろう。 幸運といえば、誰かを愛することについても、僕が今まで読んできた物語からすれば困難ばかり感じていた。が、それはドラマの演出だとわかった。愛することはもっと淡々としていて、泣いたり、感

          雲の形なんて覚えていないけれど

          書くことは、私を言葉にしていくこと。

           書くことは書いていないうちに変わっている。今週の土日は書く時間がなかった。と言うより、書こうとしなかった。平日と比べて、自由度が高い土日を過ごしているから、書く以外のことに時間を使ってしまった。こうして改めて書いていると、ああ、書く感覚はこんな風だった、と思いだしていく。  頭の中だけで考えているのと、こうして書きながら考えているのは、全く違う考えが広がってきて面白い。文章を書きながら考えていると、考えが前に進んでいく。書かれたことを忘れて、今のことに集中できる。  小

          書くことは、私を言葉にしていくこと。

          博士の愛した盆栽

           今日は、月に一回のドウを先生に見てもらう日だ。ドウと言うのは、博士と僕が拾ってきたメタセコイアの種から育った三本のうちの一つだ。  彼は、立派な太い曲がった枝を持っていて、普通に育てるのではなく、盆栽として育てている。盆栽は、普通の樹木を育てるのと違って、枝を刈り込んだり、水のやり加減が難しかったり、手がかかる。  それで、ドウは定期的にメンテナンスが必要なのだが、月に一回、盆栽の先生のミソノさんが来る。博士は、この日のことを待ちに待っている。なぜなら、ミソノさんのこと

          博士の愛した盆栽

          「私たち、根を張っている気がするよ」

           僕が今一番長く一緒に時間を過ごしている人は、ナオさんで、そしてナオさんと子どもを授かって、ユウタを育てている。  端から見たら、夫婦に見えたり、結婚しているように見えるかもしれないけれど、僕たちはなんとなくお互いのことを「パートナー」と呼ぶようにしている。  ナオさんは、僕と同じく植物が好きだ。庭にある三本のメタセコを育てるのを手伝ってくれる。もとより、この三本のメタセコ「モク」と「キン」と「ドウ」を一緒に育てたいから、ナオさんは僕と一緒に暮らし始めたのだった。  僕

          「私たち、根を張っている気がするよ」

          「好き」という言葉が濃すぎるなら

          「ソイラテって、コーヒー豆と豆乳だから、相性抜群なんじゃない。」  僕と一緒に時間を過ごしているナオさんは、カフェインの量を減らしたいと思っている。だから、毎日自分でインスタントコーヒーのスプーンに乗せる粉の量を調整している。最近は、もう、スプーンの先っちょでちょっと粉をつつくだけで、コーヒーカップに入れ、お湯を注ぐ。お湯は少しだけ。そして、豆乳を注ぐ。それで、ソイラテの完成ってわけだ。  ユウタが窓から庭の三本のメタセコたちを見て、遊びたそうにしている。庭があるからいい

          「好き」という言葉が濃すぎるなら

          幸せは歩いてこない。しかし、過ぎ去ってゆくものでもない。

          僕は公民館の園芸部で知り合ったナオさんと出会って、メタセコイアを育てながら、子供も育てることにしたのだった。 しかし子供を育てるといっても、初めての子供なのだから全く見当がつかない。だから、それぞれの両親にインタビューをして、自分たちをどう育てたのか取材する計画を立てた。 次の休日に、ナオさんと母に会いに行った。実家に帰る道は、ナオさんにとっては初めて通る道だ。そして、結婚式の日のようにナオさんは、化粧をして綺麗だった。でも笑顔はいつも通りで、それが一層素敵だった。

          幸せは歩いてこない。しかし、過ぎ去ってゆくものでもない。

          どんな人かは、会ってから分かればいいじゃない

          レジャーシートに座りながら、ナオさんは、わたし子供がほしいと言った。それまで僕はメタセコのことばかり考えていたから、意外なことだった。 ぼくは、深く考えずにいいよ、と答えたのだけれども、それはナオさんが、そう思っていてもいいよ、という意味に近かった。実際、子供を持つということが、どういうことか僕の方には全く想像がつかなかったからだ。 これは博士に聞いても仕方がない案件だ。ナオさんと図書館に行って子供の本を隣りに座って読んだ。本を二人で読んでいると小学生の頃に戻ったみたいで

          どんな人かは、会ってから分かればいいじゃない

          時間がかかるけどいいかい

          メタセコは、僕の腰ぐらいまで成長し、3歳の息子の背を追い越してしまった。ユウタが1歳ぐらいの頃には、彼と同じサイズだった。まるで兄弟のようだった。 彼が生まれる前は、僕は、ナオさんと一緒に暮らし始めた。ナオさんは、僕がよく通っていた公民館の園芸サークルで出会った。僕ははじめの一ヶ月間、木を育てることについて学んだら、あとは庭にある三本のメタセコに集中して他のことは目に入らなかった。 ナオさんは、公民館の花を育てながら、僕の話すメタセコの話をずっと聞いてくれた。 公民館で

          時間がかかるけどいいかい