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なぜ小説は読まれなくなったのか?

ぼくは1968年の生まれだが、子供の頃から本が好きだった。なぜかというと、小学2年生のときに読んだ『ドリトル先生』が面白かったからだ。また、やっぱり小学2年生で読んだ『ドカベン』も面白かった。それで、小説とマンガの面白さに目覚めたのだ。

ぼくが小学2年生のときは8歳なので1974年である。そのときは東京都日野市の京王線高幡不動駅に住んでいた。駅前に当時新しく「京王ストア」という名の商業ビルが建てられて、その一階と二階に入っている啓文堂書店という本屋によく行ったものだ。そこの二階で『ドカベン』の14巻を買ってもらったことを今でも覚えている。

中学生くらいで筒井康隆が好きになり、そのときはつくば市に住んでいたから、つくば市で最も大きい友朋堂書店に自転車で40分をかけて、ほぼ毎日のように彼の新刊やまだ読んだことのない本が置いていないか、目を皿のようにして探していた。そこで『虚構船団』を見つけ、当時まだ高校1年生だったが2000円の大枚をはたいて買ってしまった。しかし読んで本当に感動した。ぼくは筒井康隆が大好きだった。

20歳の頃、その彼がエッセイで紹介していた『百年の孤独』を読んで衝撃を受けた。そこから、本格的に「小説家になりたい」と考えるようになった。

しかしどうすればいいのか分からず、20代は無為に流れていった。そうして30歳くらいのとき、朝日新聞の分冊百科『世界の文学』というのを読んで、文学そのもの全体像というのが、ようやく朧気ながら見えてきた。文学とは何かということが、その豊穣な世界がうっすらと理解できるようになったのだ。そこから、小説というものがあらためて好きになった。

そうしてそこから狂ったようにたくさんの小説を読んだ。ところが、今ではすっかり読まなくなった。今は歴史本やドキュメンタリー、学術書などは読むが、創作物はさっぱりである。なぜかフィクションと縁遠くなってしまった。

それは年だからではない。ぼくはまだ精神的には老いていないから、単純に現代の小説、フィクションがつまらなくなったのだ。昔の小説なら今でもまだ読める。

ぼくは、青年時代から映画版『ゴッドファーザー』が好きだったのだが、恥ずかしながらそれに原作小説があることを30歳くらいまで知らなかった。1998年くらいまでだ。

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