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第5回能登半島支援物資収支報告&現地レポート。

長かった1月の寒い雪の季節も終わり、春の桜の花も散り、初夏の紫色の藤の花が咲き、これから暑い夏の季節が到来間近となったこの時期に、第5回目となる能登半島支援物資のお届けと、取材に向かいました。

今回はG.Wの時期をずらしたので、飛行機の値段も、前回、能登半島へ行った時よりも、安く済ませることができました。
ただ宿が今回どこも、11日だけが埋まっていて探すのに大変苦労いたしましたが。
とりあえず収支報告をさせていただきます。

ガソリン代 7984円(5//10-13)

宿代 25500円

レンタカー代 31020円

高速代 2980円

飛行機代 67840円(那覇ー小松空港2人分往復)

那覇空港自家用車駐車場代 6100円(5/10-13)

物資代 5/11  64718円(一部全避難所へ届けた紅芋タルト代含む)

   5/12   48463円

合計 254605円

お預かり金  268800円

余り  14195円

余りに関しては、6月は沖縄で取材があり能登へ行くのは困難なので、また次いつ行けるかは未定でわかりませんが、次の物資支援の時に使わせていただきます。

早速始めさせていただきます、今回も小松空港についてから、いつも購入しているドンキホーテに買い出しをと思い、レンタカーを借りてから、向かうといつものルートで祭りが行われており、道順が変わったので急遽、ドラックストアで買い出し。
そして今回の物資で新たに追加した物品は、暖かくなってきたら、害虫が発生し出すので蚊取り線香や、Gホイホイなどです、そして暑くなってきたら一番全国的に心配になる熱中症があるため、ポカリ熱さまシートを購入。

そして物資調達の終了後、今回の宿は能登半島の入り口、羽咋にある宿へと車を走らせる

勿論今回も渋滞は無し

到着したホテルは、昔ながらの味があるホテルで、建物もエレベーターも、70〜80年代から時が止まったレトロなホテルでした。(お風呂は、湯を溜めようとしたらサビが出てきたのでシャワーのみ使用)

そして次の日朝7時に起床し、8時30分頃から行動を開始して初日は珠洲市へと向かった。
のと里山街道の徳田インター以北は工事は行われていたが、3月末に訪れた頃と余り変わりはなく、陥没した道路に埋まった車もそのままに
珠洲市に向かう途中、能登町を通るのだが、一歩道を外れるとアスファルト舗装もされていない、ズリで応急処置した道や陥没状態がそのままにされている道路も確認できた。
能登町に到着し、能登町内から珠洲に繋ぐトンネルが滑落し、封鎖されたままのトンネルも。

そして珠洲市にお昼前ぐらいに入りまず最初に向かったのは、大谷小中学校だ、ここは3/29に初めて給水車が来た場所で、珠洲市内でも未だに断水もあり、炊き出しも自ら行っているとのことだ。
今現在は20名ほどが避難しており、家に帰れる方は、在宅避難でたまに物資を取りに来たりもしているという。

続いては、前回は人が居なく電話対応のみで物資の受け取り対応をしていただいた高屋地区の集会場へ。
こちらは一部では断水か解除されているが、問題は各家庭の宅地内漏水が問題となっており、今どこも水道業者の手が空いていなく、今工事の受付を行っても3ヶ月はかかるとのこと。
そして今回の目的の一つでもある「G.W時のボラの数と、G.Wが終わった後のボラの数」の確認で、実際に話を伺ったところ。
避難所目の前の港から漁に出ている漁師の方は「TVや新聞では、珠洲市に100人入ったみたいなニュースは見たけど、実感としては余り感じなかった」

2次避難先金沢市から倒壊した家の片付けにくる女性の方は「被災者は、G.Wにボランティアが沢山来るから、地元へ帰る方は少なく、ボランティアも全然見かけなくて少し寂しい雰囲気でした。」との事。

そして「国や県の対応や動きに関して」の質問を行うと「最初の頃はみんな
口を揃て言うとったんは、余りにも動きが遅すぎる、今は確かに道こそ綺麗にはなっとるけど、景色が全く変わらない」
漁師の方は「船の方はなんとか無事だったけど海が隆起して、海に出れない、昨日やっと組合の話し合いで、海路を直す工事が5/20に決まったばかり、それでも元の仕事が出来るようになるまでに2−3年はかかる。ここまで長引くと漁師の感覚を忘れてしまいそうだ」と肩を撫で下ろしていた。

筆者らがお届けした物資を早速持ち帰って頂いた
高屋地区の漁港
落石していた場所は未だに手がつけられていない

正午過ぎぐらいに高屋地区集会場を後にし、珠洲岬を通って珠洲市内へ。
途中狼煙地区の漁港の氷製造機の破損が確認できたり、以前来た時と余り景色も変わらない悲惨な光景がそのままに。
続いて向かった先は、第2回目から毎回訪れている飯塚小学校へ、以前発災直後のインタビューを受けて頂いたSさんは、もう避難所を離れ、自宅から物資や弁当を取りに来るサイクルに変わったとのこと。
こちらの運動場には、4回目来た頃には基礎工事を行っていた場所に仮設住宅が建設されていた。

断水解消のため設置された水道管
以前は滑落した遊歩道があったがそちらは撤去されていた

そして次の目的地へ行きながら珠洲市内を走行しているが、やはり市内もそのままの状態、そりゃ数ヶ月で景色が0100で変わるとは思わないが、全くボランティア作業してる姿は見られず、今回の珠洲市でボラグループがいるのを3組ほど見たぐらいであった。
そうこうしてるうちに、次の目的地である、珠洲市内で一番多く避難している方が多い宝立小中学校へ。
こちらはXにて要望があったコーヒーやジュースお菓子などをお届けしバタバタしていたのですぐに引きげ明日の買い出しへ。
その途中、能登町白丸地区にある大規模火災があり、倒壊した家屋が海に流されたことが報道されていた場所へ。
こちらが解体屋が入り撤去作業が行われ、以前報道で見た頃よりは綺麗になってはいるものの、悲惨な光景と共にまだ焼け焦げた匂いがあたり一体には残っていた。


時が止まった時計

能登町の取材を終わり、帰路へ、途中のと空港に出来た全国の派遣県職員の滞在拠点になっている場所などを確認し、七尾市のドンキホーテとマツモトキヨシで買い出しを済ませてから帰宅、22時30分頃に宿に到着。

5/12分の物資

最終日はあいにくの雨この日も8時30分ぐらいから行動開始。
今回は羽咋に宿を取っているので、いつもよりは時間短縮して行動ができるので、朝飯に七尾の特産品の牡蠣牡蠣がある牡蠣小屋へ行くもシーズン外で閉業していたので、代わりに能登島にある定食屋へ行くもこちらも休業。
仕方なしに、朝飯は抜きにして、輪島市町野経由珠洲輪島を繋ぐ千枚田の途中が大規模土砂災害のため通れなかった場所を代わりに、隆起した海にに道をG.W中に作り開通させた場所へ、その途中、道の駅「桜峠」に行き、やっと遅めの朝飯と昼ごはんのうどんを食べた。
そして隆起した道へ到着、周りの家屋の倒壊も土砂災害も酷く、やっと開通したとのことで様々なアクセスが楽になったであろう。

能登島
やっとこさありつけた朝ごはん

続いて向かったのは世界農業遺産でもある「千枚田」へ、こちらは5/11から復興の象徴として報道が増えた場所でもある。
雨の中撮影していると、どこかで見たことのあるモデルさんが、千枚田の方へ向かったので行く方向を見ると、新聞記者が複数人いたので筆者も取材させてもらう事に。
後でわかったのだが、そのモデルの方は、世界的ファッションデザイナーの森英恵氏の孫でもある森星さんであった。
千枚田の一角に着き撮影の体制に入ると、どこかで聞いたことのある声がして顔を上げると目の前には自民党の小泉進次郎 衆議院議員の姿が、小泉氏が「馳さん…」と馳浩石川県知事の話をしていたので辺りを見渡すと、なんと馳浩石川県知事の姿も、そして小泉氏の隣には石川3区西田昭二衆議院議員坂口輪島市長の姿もあり揃い踏みであった。
千枚田での田植えを終わり、被災者でもある、千枚田保存会会長の方は馳知事に「私もこの辺はまだ水が出ないから避難してる金沢から通ってる」と言うと馳知事は「金沢で何しとるん?なんもすることないだろ」と、よもや知事の口から出ると思えない口調で要請を聞きいていた、その様子はYouTubeにUPしているので観て頂きたい。
そして小泉議員に直接インタビューが出来た筆者が「震災後石川県能登に来たのは何回ですか?」と質問すると、「今回で2回目、それまでに来たのは10回」と聞いてもいない質問を笑顔で聞いてきたので。
続け様に「これまで炊き出しや避難所に行かれましたか?そこでどの様な声が大きかったですか?」と質問すると「いやそれは様々な声を頂きました」と答えにならない答えが返った来たので呆気に取られてしまった。
その様子も含めて是非映像で観て頂きたい。

余談ですが、当時は雨が降っており、小泉進次郎らが雨の中被災者の話を聞いている中、馳浩石川県知事は「服着替えたいから早く帰りたい」と言い誰よりも早く返ったのは内緒です。

あと因みに千枚田は、安倍晋三元総理安倍昭恵夫人が特別名誉会長に就任している俗にいう「昭恵案件」の場所でもある。

https://www.youtube.com/watch?v=qvttXw5nJ_w&t=2s


モデルの森星さん
小泉進次郎に手を振り帰る森星さん

千枚田でかなり時間が取られながらも、次の物資お届けに輪島中学校へ、。
輪島市内で未だに150人が避難していおり既に学校も再開しており、帰宅する学生などもみられた。
雨が非常に激しかったので長居はせずに次の場所へ

続いて向かった先は、以前もお届けに行った大屋小学校へ、しかし今現在は輪島市からの要請じゃないと受け取らないというシステムへと変わった。
なので、鳳至小学校へ向かった、そこで物資の一つであるタバコを喫煙所へ手渡しして少し喫煙所の方と会話。
「北陸で一番厳しい寒い季節は超えたし、4−5ヶ月もここ(避難所)に住んでるから随分と慣れたけど、家もいつ壊れるかわからないし、炊き出しも物資も少なくなってきたからそこが不安になってきた。
地震が来たときは、息子や孫が帰ってきて、息子におぶってもらいながら、ここまで走ってきた。津波被害がなかったのが不幸中の幸い。」と今と当時の状況を語って頂いた。
3時前に全ての物資運びが終了したので、朝市を見に行くとボラの姿も見えなく3/31に来た頃と何も変わらない景色が広がった、変わったといえば道路を封鎖していた、倒壊した家屋が撤去され通れる事になっていた事ぐらいである、そこに関しては一歩前進。
その後、通ったことのない道で帰ることに。
途中、輪島市内から少し離れた場所には、未だにビニールハウスでの生活を余儀なくされている方々がいてその先に行くとまだまだ整備されていない道があり普通車では通れず引き返すことに。

輪島漁港


そして門前経由で帰る途中、鹿磯漁港へ。
そこも隆起がひどく、停泊してある船も水没していたり海路が潰れていたりと悲惨な状況が確認できた。
岩海苔が取れる港であるが、隆起しているために岩海苔も完全に取れなくなっている状態だ。
そんなこんなで志賀町の和食屋で海鮮丼を食べて宿に着いた。



今回5回目の能登半島に行って思ったのが、確かにボラや作業員の方は増えはいるが、その反面、自立を目的とした炊き出しや弁当の配給も取りやめとなり震災により全てを無くした方にとっては更に不安になるであろう状況が増えている。
県や国は、千枚田の状況を映して復興してる様子を見せ復興アピールをするが、少し先に行くと、復興とは程遠い現状が点在している。
今回は5回目となりましたが、6月は沖縄での取材もあり、能登半島に行けないですが、これからも足繁く様子を見ながら通いたいので是非ご支援をよろしくお願いいたします。

ゆうちょ
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最後に「馳、お前はそんな所で何をやってるんだ?」

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