第二次世界大戦の”最後の6ヶ月”の真実 〜反戦運動とは何なのか〜
第二次世界大戦の日本の戦争の最後の6ヶ月について。
1945年2月19日硫黄島の戦いは、米軍が計画した5日で終わらせる予定が1ヶ月かかった、日米の戦死傷者は互角だった。
1945年3月26日からの沖縄戦は、日本側の戦死者軍人11万人、民間人20万人であった。
米国側はこの2つの戦いで「日本とは(兵士同士の)”戦争”が出来ない」と判断したのです。
実際、日本側は沖縄を奪られて、次は九州戦あるいは東京戦を想定し準備もしていました。
米国はその戦を避け、民間人の「大量虐殺」に方針を大転換したのです。
3月10日東京大空襲は、軍人も軍施設も無い東京の民間人の無差別殺人でした。
爆撃と機銃掃射で10万5,000人が死亡。
機銃掃射による、武器を持たない女性(母親)と子供が浜辺で殺されている事実が象徴的でした。
8月6日広島原爆投下、すでに軍施設も軍人もいない広島では、兵器を持たない民間人が14万人殺されました。
8月9日長崎、民間人7万3,000人が殺されました。
この3月10日から8月9日の僅か6か月間で、約32万人の武器を持たない民間人が虐殺されたのです。
白旗を振り、降参も宣言出来ない悲惨な状況でした。
そして、最後に、日本は8月14日にポツダム宣言を受諾を通告し,第二次世界大戦は完全に終了することになった。
その経緯は、昭和天皇が、日本人(民間人)の大量虐殺に耐えられないということが最後の決断理由でした。
結局、この戦争で日本人300万人が犠牲になったのです。
当時の米国トールーマン大統領は、「日本人は皆殺しにしなくてはいけない」と米国内で公然と発言していた。
日本人があまりにも(民族として)優秀で、政治・経済面でも米国の脅威になり続けるからと考えていたためです。
アジアで、欧米人の植民地とならなかった日本は、この300万人の犠牲がなければ、当時7,200万人の人口のうち1,000万人以上の家族(親・兄弟・妻・子供)を守ることも出来なかったと言われています。
もし、この”尊い犠牲”がなければ、私も私の家族もこの世にいなかったと想像出来ます。
戦争は、兵隊同士(男)が戦うもので、武器を持たない女・子供などを殺す虐殺であってはいけない。
学校の義務教育でも、こうした史実はねじ曲げられてしまった。
戦後78年経ち、世界の戦争はなくなりません。
人類が戦争を無くすというのは、無理なのかも分かりません・・・、しかし、武器を持たない民間人の”殺人”だけは決して行ってはいけない。
反戦を掲げるならば、まずは”反虐殺”行為を断固として否定する運動で声を上げなくては、”世界の平和”は決して訪れないように思います。
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