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だって、そういう時代



※こちらは舞台『ハザカイキ』のネタバレを含みます。



Bunkamura Production 2024『ハザカイキ』を観劇した。

芸能記者の菅原を中心としたストーリーは、現代のマスメディアやSNS至上主義の社会で実際起こりうる、もしくはすでに起こっていると感じられるものだった。

でも、丸山さんの出演した前作『パラダイス』が鳩尾の辺りにじわじわ響く鈍痛だとしたら、今回はずっと違和感をおぼえてきた関節や筋肉が再び痛み始めたような感覚だった。

この舞台を観て身につまされるというよりは、やっぱりそうだよね、と感じた部分の方が大きかった。

それは己のネットリテラシーに慢心しているわけではなく、むしろその逆で、今までSNSをやりながら自分の発言や倫理観がいつも正しいとは信じられなかったから、の方が近い気がする。

そうだよね、とは思えても、そうだよね!とは思えなかった。

私は表舞台に立つ人間ではないし、撮られる気持ちは今のところ想像の範疇を超えないから、と言えばそれで終わりなのだけど、

私も菅原と同じなのだろうか。








まわるまわるよ時代はまわる
別れと出会いをくり返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ

中島みゆき『時代』



ハザカイキを初観劇した4月6日からはしばらくこの歌が頭から離れなかった。

時代はまわると言うし、めぐるとも言う。
みんながなんとなくどういうものなのか知っている。
だいたいが過ぎ去ってから、あの頃はよかっただの私たちの時はこうだっただの武勇伝みたいに語られ、対称的に今の時代は…と否定されがち。

社会の中ではわりとまだ若者と呼ばれる部類にいる私にとって、時代の産物みたいに括られることには多少の居心地の悪さを感じる。

テレビ番組でも、昭和の常識VS令和の新常識とかってよく勝負させられるけど、だからなんやねんと毎回思う。

時代って、よく言うけど…わかるけど…

公式サイトにも「時代の価値観の変容に踊らされる人々を描く」とは書いてあったものの、セリフ中に何度も「時代」というワードが出てくるのが気になってからは余計に、だから時代ってなんやねんと思っていた。

幸いにも複数公演を観ることができ、登場人物の「時代」に関する発言に注目してみたので、気になった部分を以下に書き出す。



橋本香の部屋

  • 曲をヒットさせるコツを「令和っぽくする」「自分の言いたいことを押し付けすぎず、すべての価値観を間違ってないよ〜って肯定してあげて、自分に生まれてきただけでいいんだって称号を持たせてあげる感じ?」「メロディは歪にすること、昭和とか平成からはアプデしてる感を出して、シンセはマストでサビに向けてバーンと…」と答える加藤勇、解説する姿を「関ジャムっぽくなってる」と言われ「ダサいわ〜、ダサいことなってるって」と反応

  • 勇の好きなところを話す香「令和っぽくない感じ、何でも笑いにできる感覚、どんな時もふざけられるセンス、抜け感」「時代に固執した人間とは全然違う」

  • 橋本浩二「外人みたいなヘアーしやがって」勇「外人も今の時代は差別用語になりますよ〜!」(浩二は記者に対し「ルンペン」という言葉も使う)

  • 香の活動を休止させない浩二に憤慨する橋本智子「本当に古い人間!考え方も価値観も、臭すぎる香水も」浩二「俺は古い人間だよ!だから何だ、なんで時代と合わせる必要がある、俺は間違ってない!」

菅原裕一の部屋

  • サウナにドハマりした菅原「時代のブームに乗っちゃったよ、サブいわぁ〜」(※日によって言い回しが変わった印象、後半は「時代」と言わない回もあり)

  • 今井伸二に対し浮気を疑う鈴木里美「私はそういう人に対する理解のある方だと思う、世間も受け入れる風潮になってきてるのは素晴らしいことだし、価値観も変わってきてる。でも、それとは別っていうか、そう思ってるからこそ、今井くんのこと警戒するよ?彼女として当然でしょ?…私、間違ってる?今の時代にふさわしくないこと言ってたら教えてほしい」

  • 菅原に謝罪する伸二「この時代に反発して、俺と同じ他の人間にマウント取ってせっこく自意識守って、世間がわかってないんじゃない、俺がわかってなかった」

撮影現場

  • カメラマン「新しい時代!香ちゃんの新時代だよ〜!」

事務所

  • 「令和を生きる人間に必要なこと」というインタビューに対し「時代に流されないこと」と答える香、終了後「時代に適応する」に変更するよう申し出るマネージャー田村修
    (つい1つ前のインタビューでは「新時代のタレントに必要なこと」に「ひとつの価値観に固執せず、自分をアップデートしていくことですかね!」と矛盾した回答をしている)

  • そろそろ香がSNSを始めるよう提案する田村「今の時代、芸能人ももっと身近な存在に…」→浩二「必要ありません!だからSNSはやりません!香は国民の好感度No.1、時代の寵児だぞ!!」

  • 浩二に土下座する田村「一時の感情でパワハラなんて言葉を使って…5年間そんなこと一度も思ったことなかったのに、時代に適応した気になって橋本さんと向き合うことから逃げてしまいました」

スナック

  •  額にけがをした香を手当てする智子「あなたの顔は商品なんだから。こんなこと言ったら怒られんのか〜、今の時代は」香「お母さんの時代は?違ったの?」智子「橋本智子は、演技力はあるけど顔が〜…って散々言われた。逆にそれがのし上がってやるって原動力になった、そんな時代」

  • 香に勇とのことを尋ねる智子「国民全員が好き勝手物言えて、影響力持てる時代よ」

  • Ado『新時代』を歌うアケミ

  • 智子に対しヒカルを庇うアケミ「ヒカルちゃんのこと、時代に流されてるだけの人間みたいに見るのやめてください!空っぽの正義感ひけらかして、みたいな!」(ちなみにヒカルは時代という言葉を使わず社会や世の中に対して声を上げる)

  •  自分は古い人間かと問う浩二に対する智子「頑固で傲慢で義理堅くて、目の前にいる相手の存在をちゃんと感じとれる、だから今の若い人からはうっとうしがられる、時代に取り残されたおっさんの典型」

カラオケボックス

  •  週刊誌へのリークについて自白する野口裕子「SNSではよくある事だし別にいいかなって…暴露して自分が満たされてもいいかなって、本気で思っちゃった、それが当たり前の時代…違うね、それがありふれた時代」→どこかの部屋から『時代』が聞こえる

謝罪会見

  • 香「私という人間は、揺れ動く時代と共に、こんなふうに、こんな感じで生きてしまっています。いい加減に、つかみどころなく、曖昧に、宙ぶらりんと。」

  • 香、加藤勇と付き合っていたことについて「時代と逆行してる間の抜けた雰囲気」を好きになったと説明

路地

  •  里美「私が言っちゃったのは心の底から湧き起こったものじゃなくて、それを裕ちゃんが嫌うことわかってて、時代に染まったフリした言葉」「私はただ裕ちゃんとテレビ見ながら、この時代にぶつぶつ文句言いながら、でも時代に合わせなきゃなって、やっぱり合わせたくないなって、今をダラダラと何気な〜く過ごすのが好きだった。1歩外に出たらどういう価値観か見極めて人と接しなきゃで、それでもそういうことが言い合える人が隣に1人いたら、時代がどう変わっても何とかやっていけるって、そう思ってた…」

  • 菅原「嫌な時代になりましたなぁ、受け入れられへんものばっかりや。迷惑系なんちゃらとか、暴露系なんちゃらとか…(中略)あと…セクハラ変態記者とか」




かなり多い。

これだけ同じワードや概念を繰り返されるといやでも耳につく。

時代に合わせた言動をしなければ咎められ、時代に合わせたことはダサくてサブくて、時代の多様性を受け入れなければ間違っている。

きっとそれらにもっともらしい理由はない。
だってそういう時代だし、みんな時代のせいだし、それで時代はまわっていくし。



“そんな時代” において私が一番納得できないと思ったのは、自分でも驚いたことに主人公である菅原だった。それはおそらく、菅原が自分の行いや受けた報復をまるで時代のせいのような言い方をしたからだ。

菅原は基本的にズルい。
自分に謝ってくれた人に対してのみ謝るし、自分にとって心地よい距離を手放さない。

伸二の謝罪には「俺もお前と一緒にいたくて、わかってるフリしてた」と、相手のつらさを自分のせいだと、自分が傷つかなくて済むための都合のいい理屈を並べ、

里美の謝罪をわかるよと受け入れ、何に対してかわからない謝罪を返し、嫌な時代の、迷惑系・暴露系なんちゃらや「受け入れられへんもの」と羅列して「セクハラ変態記者」を挙げた。

報復を受けて反省や後悔はしていても、それを告白したのは「絶対的にお前の味方」であることがわかっている伸二に対してであり、里美に「言わせとけ言わせとけ〜」と言われ収束したかのように見える。


SNSで誹謗中傷を受ける、というあってはならない事象はまさに時代の産物であると思う。それは本当に、あってはならない。

ただ「セクハラ変態記者」が許される時代などどこにもない。最近は何がハラスメントになるかわからないから〜とよく聞くが、いつの世も不快なものは不快だったわけで、名前がつけられるようになっただけで

ぜんぶ、時代と共にまわりまわって菅原の元へめぐってきたことだ。

回転する舞台装置は、その暗喩だったのだろうか?

もしかしたら、時代なんてものは意外とメリーゴーランドのように同じところを回っているだけで、時間の経過によって進んでいるように錯覚するのかもしれない。

が、同じ道を繰り返し通っているのだとしても、後ろを振り返れば必ず現在まで続く「轍」ができている。
それを時代と呼ぶのなら、

人々はその道からはみ出さないように合わせ、ダサくないように合わせすぎたりはせず、多様性を受け入れ柔軟に対応することが求められる。
それを全部、道が悪いと言うのなら、

伸二の言う「根底では何も変わってない」は菅原、お前のことじゃないのか?



そういえば『ハザカイキ』を観ながら、思い出したインタビュー記事があった。関ジャニ∞(SUPER EIGHT)50枚目のシングル『アンスロポス』について、「轍」について触れた丸山さんのインタビューだ。

何事もそうじゃないですかね?途中でやめて、次新しいことを始めて、それまでのことを切り捨てる人って多いじゃないですか。何もなかったことにして。懺悔室に入って懺悔すれば、親に嘘つこうが、人を傷つけようが、そこから出てきたらチャラになりますって、〈はあ?おかしくね?〉って思いますけど

『音楽と人』

丸山さんのこの言葉に、そうだよね!と私は思っていた。

個人的には、お芝居を観る上で役が当て書きかどうかは重視しない。本人と役を一致させろと言いたいわけでも、イメージと違ったから香のように謝罪しろと言いたいわけでもない。

しかし、断片的な発言をかき集め、勝手に形成した“イメージの丸山さん”がこう言っていたために、そうだよね!とわかっているつもりだったために、私は最後の菅原のプロポーズに納得がいかなかったのだと思う。


記事で他人のプライベートを荒らしたこと、
狙っていたネタが先に出てしまったから、「腹立つから」という理由で裏取りゼロのコタツ記事を書いたこと、

志もって記者になったからには芸能人の下半身事情と政治家の汚職の両方を追わねばならず、前者を否定したいのであれば後者の必要性を否定してからだと、政界の暴露記事を免罪符にしたこと

それで、近しい人に否定されかけて、突っぱねて、そういうことに傷つきましたとまた近しい人に泣きついて、自分の過去を棚に上げてプロポーズ?

ゲボ浴びながらカメラのシャッター切って、後輩の川綱に「ゲボですよ、俺たち」って伏線回収されて、それを雨で洗い流して「結婚しよっか」?

はあ?おかしくね?

が率直な感想であった。


だから、私が『ハザカイキ』の中で一番近い立場をとるとするならば、それはテレビの中で「自業自得じゃないですか」と言った街角インタビューなんだと思う。

それが少し、怖かった。

清廉潔白な人などいないし、無意識に人を傷つけ無意識に許し許されていることもある。

そんなことはわかっていて、わかったようなふりをしていても、自分はわかってますみたいな顔が誰かを傷つけ、こう考えている自分は正しいとマウントを取り、どこかで誰かに「そうだよね」を求めているのだと。

結局は同じなのだと。




そんな、軽いショックを受け、謎にふてくされながらパンフレットを読み直していたところ、タイトルが目に入る。


『ハザカイキ』
「みんな、人間の途中───」



ああ、

この舞台の題名は端境期で、「今日は倒れた旅人たちも 生まれ変わって歩き出す」のだ。新たな一歩を踏み出す、その一歩目が菅原にとってはプロポーズだった。

正直生まれ変わったとまでは言えないと思う。
菅原が、あの後も芸能記者を続けるのかはわからないからだ。
なにしろ雨でカメラがズタズタだったし、初めはジャケットで庇っていたのに里美と話し出してからは放ったらかしだったもんだから、その時には里美>カメラだったのだろうけど。

なんか、超ハッピー野郎だな。
でも人間の途中だもんな。

いっそ劇中で流れる歌がギターサウンドとともに「言いたいことも言えないこんな世の中じゃPOISON」とか言ってくれたら、このくさくさした気持ちもちょっとは笑い飛ばせるのになと思ったり。






最後に、

THEATRE MILANO-Zaの中二階バルコニー席から観劇した時、裏側とまではいかないが、舞台装置の奥でひっそりと移動する演者が見えることがあった。

菅原と里美の何気ない日常を描いたシーンの後、転換して裏を向いた舞台装置の奥で、スウェットをがばっと脱ぎながら走る丸山さんの背中を見た。

すぐ次のシーンで、裕子と初めて対面する菅原を演じるために、里美や伸二の前で見せる関西弁の菅原裕一ではなく、芸能記者の顔をした菅原裕一を演じるために、

逞しく、頼もしく、どこか切なくて可愛い座長の背中だと思った。

なんだか前々作の、ヘドウィグからトミーへと変わる、せっせとメイクに勤しむあの日の背中を見たような気持ちになった。



演劇だけを楽しむ気持ちを純粋とするならば、きっとこれは不純だ。

目の前に見えることをすべて、どうぞ自分の人生を有意義にするために利用してくれ、と加藤勇の報いた一矢も、行動から感情を読み取ろうとしないでくれ、と香がマスコミ席に刺した釘も、私のどこかに刺さっている。

SNSを続けていく限り、この時代を生きていく限り、

「間違ってると思わないことが間違ってるのよ」

橋本智子がそう言ったように、自分を疑いつづけていくしかない。

けれど、こんなふうに観劇した作品を、都合のいい理屈を並べ自分を有意義にするために解釈することもやはり許されたく思う自分がいる。
だって、そういう時代だから。



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