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賭け

 2007年4月の日記です。
 
先日の土曜、新宿で開かれた高校の同期会に出席した時、一人の女性から、あの「賭け」はどうなったかと、聞かれた。それで思い出したが、確かに高校3年の時(1964年)に、ある賭けをした。

 当時、同じクラスの級友と、自動車の動力源について、今世紀中(つまり、1999年まで)に全く新しいものが実用化されるかどうかといいうことで、議論になった。つまり、ガソリンエンジン、ディーゼルエンジン、電動モーター以外の動力が開発されて、それが、世に売り出されるかどうか、私はないだろうと主張し、彼はあると主張する。

 では、賭けようということになったのだが、結果は、1999年12月31日にならないとわからないから、その日に会って決着を付ける、時間は昼の12時、場所は、高校の正門前ということになった。何を賭けるかについては、いろいろ議論したが、突拍子のないものでは、現実味がないということと、物価の変動もあるので、米20キロ分の代金と決まった。横で聞いていた別の友人が、俺が立会人になるというので、3人で、会うことにした。

 35年後の当日(大晦日)の朝、監視人殿に、実は、こうこうなので、昼に出かけねばならないと言うと、そりゃ面白い話だけど、ばかばかしいから、絶対に誰も来ないという。それもそうだと、冷静に考えて行かなかったのだが、何の連絡もないから、きっと誰も行かなかったのだろう。

 クラス会の女性は、なんだ、行かなかったのですかと、すこしがっかりした様子だ。彼女の話では、彼(つまり賭けの相手)は、今も元気で、現在は京大で頑張っているとのこと。彼は、片足が悪く、ずっと松葉杖だったこともあり、それを聞いてほっとした。帰宅し、名前で検索すると、すぐ出てきた。京大の大学院工学科の教授とのこと。

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