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出雲崎(いずもざき)

 200x年4月、新潟の日記を続けます。
 
 出雲崎、いずもざき、と読む、
越後平野の中ほどで日本海に面した旧い宿場町だ。
良寛様が住んでいたのと、妻入りの街並みで知られている。

 先週の土曜の朝、その出雲崎に行った。
新潟から越後線を乗り継いで分水から3駅ほど先だ。
あの辺りの越後線は平野の中央を南下しているが、
駅の名前は海岸沿いの地名が多い。
出雲崎もご多分に漏れず、海岸の旧い町まで、4,5キロある。
前回(数年前)は歩いたのだが、今回はバスに乗る。

 良寛記念館で下車すると、新緑間近の木に囲まれて、誰もいない。
記念館に向かう上り坂を、鶯の声を聞きながら歩く。
奥の資料館は有料だからパスし、右手の遊歩道に向かって
階段を 30メートルほど登ると、小さな公園のような広場に出る。
標高50メートルほどと思われるが、
四方が開け、前面に日本海が広がる。
灰色の波が荒々しく行き交い、沖で白波を立てている。
空はどんよりした雲が覆い、水平線の向こうに佐渡の山並みが
雲の合間に薄っすらと浮かんでいる。
モノトーンの世界だ。

 足元には妻入りの街並みが見える。
左右に2キロほどの旧い街並みが延びている。
道路沿いの各家の妻面が通りに面し、間口は7,8メートル程度、
奥行きは間口の数倍あり、細長い敷地の幅一杯に
隣の軒が接するように建っている。
大半が日本瓦、板壁でいかにも旧く、崩れそうな家もあるが、
中越沖地震に絶えたのだから、それなりなのかもしれない。

 暫し景色を楽しんで、遊歩道を下り、
辺りで唯一の店、食堂兼休息所兼みやげ物屋さんに、
入り、コーヒーを頼んで、一休みする。
記念館の女性2人も暇そうだったが、
この店の女性も暇そのものと言った感じで、
これで商売がなりたつのかと、余計な心配をしてしまう。
ところが、暫くすると、なんと、
大型の観光バスが2台やってきた。
良寛研究会との紙が貼ってあり、
足立ナンバーだから、東京から来たのだろうか。
大部分は記念館に向ったようだが、
店に2組の老ペアが入ってきてコーヒーを頼む。
今日の店の売り上げはコーヒー6杯だけかもしれない。

 店の直ぐ脇に、旧いコンクリート製のトンネルがあり、
急な階段を下ると直接街に出る。
妻入りの街道を歩くと、新しい家も散見されるが、
建てかたは同じ、正面の妻面が入り口になっている。
我々のように、他から訪れる人は見当たらない。
鯛の浜焼きを軒先に並べて売っている家もあるが、買う人はいない。
旅館も数件あるが、成り立っているということは、
固定客がいるのかもしれない。

妻面の家の間から海を望む


街並み


 海岸の広場に出ると、20メートルほどの沖合に波消しの桟橋があり、
橋で渡れるようになっている。
長野育ちの監視人殿は周りが海っていうのが、
憧れだったらしく、大喜びで、桟橋に向ってすたすたと歩き出す。

海岸の桟橋


 俺は写真などを撮りながら、ゆっくりと遅れて歩いていたら、
桟橋の先で監視人殿が、 スッテンと、派手に尻餅をつく。
下はコンクリートだから、腰でも打ってはいないかと心配したが、
直ぐに立ったので、大禍はないようだ。
行ってみると、水溜りが海草でヌルヌルとしているので、
確かに滑りやすい。
タオルで、ジャンパー等を拭き、一件落着。
身が軽い、とか。

 少し休もうと、通りに戻りバス停の休息小屋に入ると、
中の天井に燕の巣があり、
夫婦と思わしき二羽がばたばたと、
頻繁に出入りしている。
子どもがいるのだろうか。
そろそろ電車の時間だと言うことで、タクシーを呼び、
海に面した通りに出ると、今度は、鴎が二羽飛んで来て
直ぐそこの街路灯の上に載って、暫し休息する。
燕も鴎も写真をパチャパチャと撮り、
今日はバードウォッチングも出来たと、満足。

街路灯の上で休む鴎


 帰り、新潟で寿司屋に行き、ミニ水族館を眺め、
いつものように握りと酒で、土曜の外出を終えた。

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