スーパーヒーロー、全員救わなければいけないのか問題(救済のジレンマ③アンブレイカブル:たった1人を選ぶ勇気)
part3です。
前回までの記事はこちらから
今回は私が愛してやまない、M・ナイト・シャマラン監督の大傑作を紹介させて欲しい。
アンブレイカブル
本作は、1児の父として生きてきた平凡な中年、デビットが、自身の超人的な能力を自覚し、スーパーヒーローとなっていく物語だ。彼のスーパーパワーは「怪力」と「悪意の感知」の2つ。この能力で、如何にしてヒーローとして覚醒するかが本作の見所となっている。特に印象的なシーンが、中盤に用意されているので是非この場で語らせて欲しい。
デビットは悪意の感知能力を使って、泥棒・強姦魔・監禁犯といった犯罪者たちを特定するのだが、作中で成敗したのは、監禁犯たった一人。現在進行形で監禁されている被害者を優先的に救いたかったのだろう。実に合理的な判断だ。しかし、その後他の犯罪者を裁く描写はなかった。
本作の面白い所は、上記の通り、救われるべき人々の大半を、意図的に見捨てている点にある。
この行動は、前回記事(MCU編)のとある一文と完全に一致する。
つまりデビットは、ヒーローとして重大な失態を犯した訳だ。
しかし私は、本作がヒーロー映画として破綻しているとは思わない。デビットは超人だが、所詮等身大の人間。その身一つですべての人を救える程の力は持っていない。それでも自分ができる範囲で、確実に救える人に手を差し伸べる。そんなヒーローの生き様を、現実的かつ丁寧に描き切ったから、本作は傑作なのだ。命の選別を強いられる救済のジレンマにおいて、淡々と人の罪を見つめ、それを黙認する描写は、他のヒーロー映画では未だ見たことがない。だからこそ、この映画は唯一無二と言えよう。
もしこの記事を読んで興味が湧いた方がいれば、是非見てみて欲しい。派手なアクションも鮮やかなCGも無い、ひたすら地味な映画ではある。しかし、本作だけが描き切った正義は、ヒーロー映画史に残すべき価値があるはずだ。
余談。実は本作、シリーズ物で、2作目(?)の『スプリット』、完結編の『ミスター・ガラス』も公開されている。こちらも併せてチェックして欲しい。特にミスター・ガラスは、たった3作で、アベンジャーズばりの激熱展開が用意されているので、「ヒーロー映画興味ないけど、今からMCU、DC追うのはしんどい……」という方も手軽に見ることが出来るぞ!
─次回に続く
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