スーパーヒーロー、全員救わなければいけないのか問題(救済のジレンマ①概要)
今回は、フィクションのヒーロー物において度々議題に挙がる、ヒーローが救わなければいけない"範囲"の話をしたい。
例え話をしよう。仮に、Aという銀行に強盗が押しかけ、銃で人質を脅しているとする。また同日同時刻、Bという路地裏では、一人の殺人鬼が子供を襲おうとしている。その状況を救うには、一人のスーパーヒーローに頼るしかない。ただし、悲劇を防げるのはどちらか一方だけ。
上記事例のように、ヒーローがどちらか一方しか救えない状況を、私は「救済のジレンマ」と呼んでいる。
1つ誤解をして欲しくないのだが、救済のジレンマは、トロッコ問題とは微妙に異なる。
図解すると、以下のようなイメージになる。
伝わるだろうか?
トロッコ問題は、片方の生存が、もう片方の死に直結している。一方救済のジレンマは、それぞれ命の危機が独立している故、見捨てることの重みが強調されるわけだ。
銀行強盗と殺人未遂の例えに戻ろう。この問いに対し、単純な1つの答えを出してみよう。仮にヒーローが銀行に向かったとしよう。結果、すぐさま強盗犯を鎮圧し、銀行の金と、そこに居合わせた人々を救うことが出来た。一方で、別の場所で発生した殺人を止めることは出来なかった。
この選択を取った際、ヒーローは以下の批判を受けるだろう。
答えは言うまでもなく、銀行強盗を止める事に精一杯で、殺人犯に割く余裕が無かったからだ。しかし殺された被害者の遺族や、当時の細かな状況を知らない第三者目線、そのヒーローは「かけがえのない1人の命を見捨てた薄情者」として映る。
故に、安易に一方を救うといった選択を取るべきではない。両者を救うか、あるいは別の選択肢を模索する必要があるのだ。
また、救済のジレンマは、単純な二者択一に限った話ではない。上記例では、ヒーローが両方の危機を知った上で、厳しい決断を下したわけだが、必ずしも全ての危機を把握できているとは限らない。ヒーローは誰かを助けている間、どこか知らない場所で苦しんでいる人は必ずいる。そういった人達の存在にいかにして気づき、目を向けられるかどうかも、救済のジレンマに該当する。そしてこれまでのヒーロー作品は、何度もこの問題と向き合い、その作品ごとにアンサーを出し続けてきた。
だから私は、この手のシチュエーションが大好物だ。ヒーロー自身に救う命の選択肢が委ねられており、誰を選ぶべきか、誰を見捨てるのか、悩み苦しむ姿が堪らないのだ。
そこで今回、様々なアプローチで、救済のジレンマを扱った名作たちについて語りたいのだが・・・前置き長すぎたァ!
──次回に続く
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