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将来の伴侶をコーポに連れ込んだ話



私の人生の登場人物でとても大切な人がいる。
夫だ。

夫がパートナーじゃなかったら、
もっと生きにくかったと思ったので夫のことを書いてみます。



25歳の秋ごろに夫と出会った。
いろいろあって、
25歳で看護師1年目の時。


春には付き合っていた医大生と別れた。

顔がフランス代表のサッカー選手
ベンゼマのような元彼だった。



ヒゲないバージョンのベンゼマ。顔濃い人で優しかった。出落ちである。



社会人1年目で、社会の波に揉まれまくり
失恋という傷心も加わった25歳。


寂しかった。
正直、誰かと話したかった。
なぐさめが欲しかった。


手っ取り早く付き合いたいと思ったので、
バチコーーーーンと決め打ちでいった。



久しぶりに会う高校の同級生(男)に
「ぽっちゃりいけるやつ紹介してくれ。」と
このまんま伝え

2対2の合同コンパ的な会を開いてもらった。





そう。
私は、ぽっちゃりである。
かわいいお腹で生きている。
かわいいHIPもある。



セッティングしてもらった会には
その時できる一番かわいい私でトライした。


髪の毛をふわふわにして、
上は優しいサマーニット、
下はふわふわスカートだ。



組み合わせなどはわからん。
ふわふわにしといたらいけるやろと思っていた。

結果、ほんでいけた。



同級生の紹介で来たのは、
笑うと目が糸になる、ヤンキーだった。
短髪で態度がでかめ。


2つ年下のよく飲み、よくしゃべる人。
第一印象はシンプルにヤンキー。


身長は高くて細身、
猫背で肩が前に入っている。

なで肩なのに、肘をテーブルに置いてたりするから肩が大きく見える。
BTSでいうと、177cmのホソクさん(J-HOPE)と一緒の身長だ。身長だけです。


スポーツブランドを愛していた彼。
当時の彼のコンセプトは
「アメリカの西海岸」
「カリフォルニアボーイ」だった。

よくわからない。
ファッションに疎い私はよくわからない。

ちょっとメイウェザーっぽさもあった。

西河岸のイメージ図。



西海岸の明るさは置いといて
彼は、自分のしんどい話しや、
身内のきつい話をどんどんするので

私はどんどん聞く。



聞いてるうちに酒癖が悪いことがわかった。



彼が喋ると情報が溢れる。
個人情報がどんどん溢れる。
居酒屋で、たこ焼き屋で、イタリアンで。
どんどん。


酒も入っているので大きな声にもなる。


ツッコミながらも聞いていると、
彼は泣いていた。



「俺は頑張っている。」

「俺は間違ってない。」

自分に言い聞かすように、何度も繰り返していた。

それを聞きながら私も飲んで泣いた。




自分の人生を考える余裕がないほどに、彼は1人で抱えていた。
とにかく多すぎた。

150キロくらい背負いながら、人生のマラソンを走っていた。

頼ることが苦手な人だった。
でも、走ることを止められない人でもあった。



そんなボロボロの23歳を
当時住んでいた京都のアパートに連れ込んだ。




コーポだ。
コーポ〇〇だ。


はちゃめちゃな坂を1キロくらい登った先にあるコーポ。

築年数40年くらいで、畳2部屋、洋間の広いアパートだった。


京都人もあまり知らない坂の町だった。


このような間取り




彼に対して「この人、今までどうやって生きてきたんやろ。」と思った。


聞いたら、感情と共に
情報が溢れる。



情報をさらけ出し、丸裸にされても、
転んで擦りむいても足を止めない人。

大ハングリー精神ありありのありの人。


まあ、危なっかしくって
どうにか守らないといけないと思った。



彼には逃げる場所が必要だった。



当時彼の前に、私があらわれてよかったと思った。
これはおごりではなくて、本当にそう思う。


手負いの獣のようで、
ウニのように全身をトゲで保護して、
身の守り方が不器用すぎる人だった。


たまたま私をトゲの中に入れてくれた。



秋に出会って付き合い、付き合ってすぐに
私の住んでいたコーポなんたらで半同棲がスタートした。


早い。付き合ってすぐに半同棲は早すぎる。


物理的に彼の家から距離を取った方がいいと判断したため
「うちに来いよ。」って言ったら、ほんとに来た。

彼の荷物が増えて、タンスの一段を埋めるのに
ひと月もかからなかった気がする。




この頃はお互いがぼろぼろだった。

夫は、仕事2年目で教える人がいない職場。
かつ家庭環境が良くない状態。


私は、看護師1年目で人権がないと思うような扱いをされていた。
1年目の人格否定ってあるあるで、
私はストレス耐性がもんのすごく低かったので
バチくそにくらった。ノーガードでくらったのである。


ぼろぼろであっても、常に怒りがあった。
ずーっとぷんぷんしながら仕事をしていた。

私も、夫も。



そして、弱っていても、弱った姿のままではいられない。
なぜなら生きていかなくちゃいけなかったし
海賊だから。

飲んで食べて寝て、ちょっと元気になって。
また打ちのめされる日々だった。



人生だなあと思う。

今になって、こういう時も必要だったと思う。

とか小説にでてきそうなことを書いてみたが

生きていて打ちのめされることなんて、
最小限でいたほうがいいに決まってる。

それはそうだ。




新卒看護師、夜勤もするようになったらだいたい金はある。
なんせ新卒。住民税が引かれないのでありがたい。


彼(現夫)としこたま飲む日々だった。

コーポの近くには飲食店が限られてるので
いつもの店でしこたま飲む。

いつもの店は、赤ちょうちんもあったが
もっぱら地元民の集まるイタリアンだった。



笑って泣いて、
赤ワインとビール、時々白ワインをのんでいた。


生ハムと赤ワインで、
仕事で嫌だったことや、こうしたいんだ本当は!
ということを話し


大きいキノコをおしゃれに焼いたやつとビールで、
自身の親のしんどいところを話した。

チーズとナッツと干しブドウと赤ワインで、
お互いのきょうだいの素晴らしさを話した。



夫も私も、末っ子ちゃんだ。
我々末っ子は、姉や兄を超えれないという共通認識も多く、
上の凄さを話すことは元気のでるテーマだった。

お互いの兄ちゃん姉ちゃん自慢をしていた。



いいことも、わるいことも、身にならないことも、とにかく話した。

話しが尽きるのは、眠気が勝つ時だった。



私は、この人と結婚するとは思っていなかった。
なぜならビビっていたからだ。

日和り倒して、最後から2番目の恋として位置づけていた。

2012年にあったドラマ「最後から二番目の恋」
小泉今日子さんと中井貴一さんが出ていたやつ。
今は内容を忘れてしまったが好きだったドラマだ。



保険をかけていた。
これがだめになっても、次にいけるよう。

この恋がだめになっても、また別の好きな人と出会えるように
保険のような、呪いをかけていた。


不器用だ。
今を生きれていない私だった。

私は生まれ変わっても、こういう選択をすると思う。

こういうのを経て、自分で選択できるようになっていくんだろうな。
しらんけど。


ちなみに、夫には
この「結婚したくない」保険がすぐにバレた。


夫は出会った瞬間から、私に一目ぼれだったようだ。
まじか、まじだ。ありがたいわね。

髪もスカートもふわふわ作戦にして
ぽっちゃり好きに焦点を充て
決め打ちで狩りにでたことが、効きました。
やりました。



付き合って、2人で飲みながら喋ってるあいだに、
夫は結婚の気持ちになったという。


彼はもともと自分の家庭を持ちたい人だった。
育った環境と違って、
自分の家庭を良いものにしようと、
自分なら良い家庭が築けると息まいていた。

私は、彼のそんなフンフンと鼻息の荒い結婚欲を
察知して、より結婚したくないマンになり、

アクセサリーの贈り物には拒否反応を示していた。
どんなやつやねんと思う。


自分で狩りをしといて、
ゲットしたのにもかかわらず、結婚したくないという。

結婚はしたくないけど、一緒にいたいという
なんだか相反する感じ



なぜここまで、結婚したくなかったのか。
彼は関係なくて、思いっきり自分の問題だった。

結婚って終わりがくるものと思っていた。

今までお付き合いして、別れてきたように。

結婚して半永続的に関係性を維持するとか
向上することが不可能だと思っていた。

「結婚しても意味ねー。どうせ傷つくのわかってるし。」と思ってた。


現在は付き合って9年
(そのうち結婚して5年)

わりと続くものである。
それもこれも夫のおかげだし、私も凄い。
親族のサポートもありがたい。




笑ったら目がなくなるヤンキーだった彼が、
今や2児の父親となった。

ヤンキーはヤンキーじゃなくなり
白シャツが似合う31歳になった。


今夫は、仕事をしながら大学院に通うというダブルワークをしている。
自分の専門性を活かして、したいことで収入アップを図る。

全ては家族のためだ。


朝5時起きの生活が2年目となった。
もともとは6時起きだ。それでも早い。

今日もだったが、仕事が立て込んでいるときは
4時半に起きる。始発に乗って出勤する。

そして21時半には気絶するように寝る。


海賊のように飲んでいた人が
平日はノンアルコールビール、
週末はオンアルコール。


そう、夫は修行をしている。
私は修行僧の妻のようなものかもしれない。

へろへろで19時に帰宅して
こどもたちをお風呂に入れて
夕食時は自分のご飯は冷めながら、
1歳のご飯を介助する。


寝る前にはこどもたちのオムツを替え
時間があるときは、食器を食洗器に入れてくれる。


その間、何と
私はわたしで何かしているのだ。

とにかくタスクが多い。

こどもが産まれてから3年以上ずーっと
試行錯誤をしながら生活を良くしてきた。
地道に時短家電を揃え、洗濯物をたたまない運用などなど。



我が家の場合、
こども2人におとな2人はミスマッチだ。

圧倒的におとな不足である。

近所の実家の鉄人・おかんとおとん
の力を借りても回らない。



自宅でこどもといる時間が伸びるほど
おとなのメンタルが疲弊していく。

マジで由々しき問題である。

勝手に産んだのだが、
実際は産んだら終わりではなく
育てなければならない。
人間を。ニンゲンを・・・・。



そんなこんなで、余裕を持つために
来月末から家事代行をお試し予定である。



こんな感じで
我が家は夫婦で自己投資をしている。
自分と向き合い、自分のしたいことで収入を得るための投資だ。


夫婦は、お互いの良き理解者でもある。
愛しているし、愛されていると素直に思う。
そこに甘んじてることもあるし、
反対に努力して維持している面もある。



そんな愛する夫に、
ゲットしたコーチングの知識を使って

ふんわりコーチングをしている。


夫はもともと推進力バリバリ人間だが、
私が話しを聞くと自己解決が更に早くなる。


もともと問題解決能力は高いが、
視点がワイドになり


職場を自分が心地よく仕事をできる環境に整えていっている。

夫の変化は近くで見ていておもしろい。



人生が面白くなってきている。








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