医者が病院を辞めた日③

これほど激しい有為転変の生にあって、生じうることのすべてを、やがていつかは生じることとみなさなければ、逆境に君の支配権を委ねることになる。

セネカ 心の平静について

今の僕の生活は、週に数時間非常勤(いわゆるバイト)の医者の仕事があるだけで、ほとんど自由時間です。
大半の時間は、物思いに耽ったり、運動と読書と勉強と散歩しながら、人生のパートナーである鳥と過ごしています。
この生活になってから2年になります。

僕が典型的な医療現場から降りることを決めた後、
ある出来事が起こりました。

僕の大切な家族が亡くなりました。
死に目には立ち会えなかったですが、たまたま夏休みをとっており、その日に駆けつけることができました。

もし、夏休みでなかったとき、知らせを聞いたその日に新幹線に乗って会いに行くことができただろうか、と思いました。

その人にしか、その日に、その場でしかできないことが、人生には突然起こります。

熱が出た子供を誰が病院に連れて行ってくれるでしょうか。
非常に確率は低いですが、半日遅れたら、取り返しがつかなくなってしまうかもしれません。取り返しがつかなくなってから、ついたのではという後悔が生まれるかもしれない。その後悔はすぐに忘れて消えるでしょうか。仕方なかったと自分を納得させられるでしょうか。

悪夢がこのままだと必ず起こる、人生の最後まで後悔し続けるかもしれない、僕の家族の死や現実世界は、強く警告していました、もう時間の問題に思えました。

なんの前触れもなく、突然おこる人生の落とし穴を避けられるかどうかは、その時両手が空いているかどうかで決まります。

一方、普段捧げている時間は、僕はそれほど価値のあることに思えなかった。
いなくても、誰かが代わりにできる、外注も可能です。
整形外科医の金儲けとしか説明がつかない、大量の胸腰椎後方固定術後フォローアップMRIと等価に思えませんでした。
ただ、どんなに割が合わなくても、システムとして逸脱は許されていない、時間も、コミットする対象も、場所も、固定化されています。

人生を揺るがす重大な出来事が明日にも起こるかもしれないのに、選択権を与えられていない。

勲章のような肩書を山ほど身につけつつ、いい加減な人間が作る仕組みや決定に我慢がならなくなりました。特に病院のトップは医者がなることが多い、自分は頭がよく能力があるため他の医者をもコントロールする資格がある、とでも言わんばかりです。(余談ですが、非常に高い知性があり、途方もない知識、あくなき好奇心があるような人間は、まず医者にならないと思います。)

先人たちの多くは書物の中で、同じ問題について、警鐘を鳴らしている、
「取り返しのつかないことになるぞ」

続く