医者が病院を辞めた日④
病院を辞める理由、
世界への好奇心と、リスクの回避
この二つへ影響する、もう一つの要素について気がつきました。
同じことを続けていると、バイアス(思い込み)まみれになる、と気づいたことです。
よくわからないと思うし、以下医療業界でない人にも当てはまると思うので、詳しく解説しています。
同じ場所で大半を過ごし、同じタスクに多くの時間を費やすと、
組織の中のメカニクスやロジックにずっと身を置くことになります。
それが自分自身の人生と見分けがつかなくなってしまっている人もいます。
人間の体という自然を扱う仕事には、より客観性が求められるにもかかわらず、
思い込み・バイアスを減らそうと努力していないんじゃないかと思っていました(まとめた調査があるのかは知りませんが、実例は山ほどあります)
わかりやすい例で言えば、診療科の売り上げを上げたいので、診療報酬のより高い検査、治療法を選択するとかですね。
さらに生々しく想像力を働かせると、
ある医者が臨床判断(医者が医療現場でする決定)するとき、
結果が自分の仲間にとって不都合でないか、
自分の立場が危うくならないか、
立場が悪くなると仕事の処遇はどうなるか、
同じ判断を積み重ねると人事査定に響くか、
ローンの残る自宅は大丈夫か、
といった思いが知らず知らずに頭によぎってしまわないでしょうか。
さらに、自分のいつもいる立ち位置が、考える方向を制限する場合もあると思います。
婦人科を20年やってきた医者が、男性の排尿障害について、積極的に興味を持てるでしょうか。
AIが医療に及ぼす影響について想像力を働かせたくなるでしょうか。
確証バイアスといった名前のついているバイアス(考え方の偏り)の他に、自分の立場と深く紐づいているバイアスが明らかに存在します。
このバイアスを低減するのが難しい、なぜなら、金、未来、家族、名声、学歴、ローン、評判、論文、研究、教授、病院の委員会、医療機能評価機構、医局、何もかもと噛み合っているからです。
これらから、突然自由になるのは極めて難しい。
医療現場において、病気や外傷は、専門領域やポジションに配慮してやってきてくれるわけではありませんし、
人生において、周りの世界は、日頃の努力や実績なんか関係なく変化して影響してきます。
僕は自然を”できるだけ”起こっている姿のまま見たかったのです。(バイアスをゼロにするのは無理)
そこには、自分にとって痛みを伴うことも含まれるかもしれません。構いません。
都合のいい出来事ばかり起こる眺めは退屈です。
得意な処理だけしていればいい空間は、変化に耐えられずやがて吹っ飛ぶ可能性があります。自分がいる建物の外は、目まぐるしく天気が変わっています。
自分の頭で理解できない複雑な世界へようこそ。
周りみんなが止めた扉を開けると、
生々しく、残酷で、美しく、退屈しない世界が広がっていました。
続く